編み図と楽譜(林央子さんとのことvol.2)
dee’s magazine「Diary」
@deesmagazine の千葉美穂さんから、dee’s magazine 特別版「Diary」届く。
2022年10月3日から11月11日まで40日間、千葉さんのごく個人的な日記なのだけど、ある一時期を集中的に詳しく書くという行為。
こんなにも彩りが感じられるとは。
手のひらに乗る小さな本。
50冊だけ作られるナンバリング。
書き手自ら仕立てられた本とは、なんて愛おしいんでしょう。
私がこの10月、東京出張の際、千葉さんとご一緒した1日についても語られている。
ちょっとこそばゆいような。
千葉さんの目線になって振り返る。
これを読んでいると、自分も日記を書いてみたくなります。
誰かに見せるかも?って目標があったら、やれるのかもしれない。
千葉さんと同じ本を読んでいることもわかる。
よかったよね、、あの本、千葉さん。
「文フリ」というのが、なんだか憧れキーワードなのだ。
ユズリハとユーカリ
今朝、思い出したことを書きます。
病院のフリースペースで、週一で編み物クラブをやっていたことは、前にも書きました。
長く一緒に過ごしたスミエさんは、旦那さまの付き添いで、毎週、編み物クラブに参加してくださいました。
子供の頃から、と言われる牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、その奥に笑う小さな目は、まるでドリフのコントみたいに思えました。
くせっ毛のショートヘア、白髪染をなさっておられ、髪は豊かでしたので、年齢より若く見えました。
結婚して入ったお家では、義婆さん、義父さん、義母さんと、病気の人を常に看続けていたと言われます。
最初は、帽子ばかり編んでおられました。
徐々に、着るものも編まれるようになられ、手順を私が説明すると、鉛筆を握りしめ、目数や段数を書かれるのですが、ノートにグッと顔を寄せ、鉛筆でぐいぐいと書くのです。
お世辞にも綺麗な字とはいえなくて、器用そうでもありません。
私は、そこに6才の、一生懸命字を書く、小さなスミエさんを見るような気がして、愛おしく思えました。
田舎に住む年の離れたお姉さん二人の、曲がった背中を覆うことのできる、前身頃が短くて、後身頃の長いちゃんちゃんこを2枚、編まれました。
子供たちは巣立ち、旦那さまだけを診る生活になられ、やっと自分に目を向けられるようになられたのでしょう。
ピアノで「ドレミファソラシド」を弾くのが夢だと言われました。
私がノートの開きに、鍵盤大の大きさで、白鍵と黒鍵の絵を描くと、嬉しそうにその上に指を置かれます。
ちょうどその時、編み物クラブには、ピアノの上手な女性がおられ、スミエさんに「ドレミファソラシド」の指の運びを教えました。
スミエさんは、「ドーレーミーファッ、、ソラシドー」
「ドーシーラーソー、ファッ、ミレドー」
と声に出しながら練習します。
「小さいのでいいから弾いてみたい」
と言われるので、その日、クラブが終わると、3人で最寄りの電気屋さんに行きました。
小さな2オクターブ半のキーボードなら、5000円からありました。
そこでも、今度は音を出して、スミエさんは「ドレミファッソラシドー」を練習しました。
「娘に相談する」とスミエさんは言って、その日は別れました。
次の週、スミエさんは、娘さんを伴って、キーボードを手に入れたと、嬉しそうに報告してくれました。
「毎日練習してる」
というスミエさんに「チャレンジャーじゃね」と私が言うと、スミエさんは「チャレン婆よ」とイタズラっぽく笑いました。
それから、病院での編み物クラブがなくなって、前にもここで書いたヨシノさんと、みんなが元気な時に、同窓会のようなことをしました。
みんなで手を握り合って元気でいることを約束しました。
2度目は、なかなか叶わず、、みんなの年齢が重なり、外出がだんだん難しくなっていたんですね。。
スミエさんからいただく年賀状の「尚美ちゃんへ」と筆文字は、年々大きくなっていきました。
私は二度、スミエさんを訪ねたことがあります。
一度は、お留守でした。
小さな長屋の表札には、かつては大家族の、子供たちやご両親の名前が連ねられていました。
二度目に会えました。
ピンポンを押して、随分長い時間をかけて、スミエさんの引戸があきました。
大腿股関節骨折をしてから、動きにくくなったと言いつつ、かつての大家族が住まわれていた小さな長屋に、一人暮らしをされていました。
週2日のディサービスの他、ヘルパーさんの来られる日、リハビリに行かれる日と、スミエさんの毎日は、スケジュールでびっしりでした。
片づけられた玄関には、ディサービスで作られた工作や書が飾ってあります。
スミエさんは椅子に、私は玄関のたたきに座りました。
壁に詩のようなのが貼ってあり「これは?」と聞くと、
「自分の歌を作ってみたいってずっと思ってて、
これまで生きてきて思うことを、ディサービスで作ったのよ」と言われる。その歌詞なんだそうです。
私が「聴きたい」って言うと、スミエさんが歌ってくれました。
これまで生きてこられて、お父さん、お母さん、お友達にありがとう、感謝します、という内容だったと思います。
恥ずかしかったりすることなく、スミエさんは真剣に歌ってくださいました。
1番、2番で、終わったけれど、いつまでも聴いていたいと思いました。
それがスミエさんと会った最後です。
電話をしても、留守番電話だったのが、現在使われていない電話になりました。
スミエさん、ユーカリの木は、触るとさわやかな香りがしますね。
鉛筆を削った時の香りに、似ているかもしれません。
最終回(私が学生寮で学んだことvol.13)
決して、良いことばかり、あったわけではない。
留学生のMさんに電話がかかってきたのは、受付の電話が鳴り続けた朝だった。
Mさんの部屋は受付と同じ2階で、私は呼びに行ったけど、Mさんはいなかった。
不在を電話相手に告げ、伝言と名前をメモし、次の保留電話に出る。その繰り返しを終えた頃、溜まったメモをきれいに書き直し、それぞれの郵便ボックスに入れたのだが、しばらくするとMさんは、そのメモを私に突きつけ、片言の日本語で「この時間、私は部屋にいたよ!」と怒鳴った。
私がMさんの不在を確かめた後、次々と鳴る電話や来客を取り次ぐ間に、Mさんは部屋に戻っていたのだ。
他の寮生なら、受付を当番制で経験するから、伝言に残される時間のズレは、許容できたと思う。
それからMさんは、私が真面目に仕事をしない人であるかのように、すれ違うとあからさまに嫌な顔をした。こんなに一方的に怒られているというのに、私は訳を話してわかってもらえるような気がしなかった。
やはり2階に住む留学生Rさんに、国際電話で恋人らしき女性から、ある時期、毎日、執拗に電話がかかった。
私が部屋まで呼びにいき、(2階1番奥、211号室だった)Rさんの不在を確かめ、受付に戻り、片言の恋人に不在を告げると、彼女は電話を切る。彼女から電話があったことをメモにして、郵便ボックスに入れる。
すると10分も経たないうちに彼女からまた電話がかかってくるのだ。
Rさんは、毎朝どこかに出掛け、とてもすてきな笑顔で挨拶してくれたのだが、不在時に繰り返される恋人からの電話は、毎日続いた。Rさんは、何枚も入る電話のメモを、どう理解していたのだろう。
午後の静かな時間帯に何度も鳴る電話。受付に座っていれば明らかにわかる彼の不在。
「今、まさに彼は帰ってきたかもしれない」なんて彼女の想いを、私は感じでもしていたのだろうか。
私は彼女にどうしても「彼はまだ帰ってないよ」と言えなかった。
毎日何度も211号室への往復を走り続けていると、ある朝、Rさんに会っても、私は笑えなくなった。
Rさんは悲しそうな顔をして、それからもう一度も、受付の前で笑顔を見せることはなくなった。
私はひどく彼を傷つけたと思う。
年が明け、2月の始めだったと思う。
突然、受付にショートカットの女の子が現れ、自分は今、図書館でバイトしているが4月からここでバイトをしたい、と言った。
私が前年に卒業した、その大学の附属夜間専門学校の生徒だと言う。図書館のバイトは1年更新だったから、受付のバイトも同じと思ったのだろう。
私は、すでに学生ではなかったから、この仕事を斡旋されるべきは、彼女であると思った。私は後輩に、この仕事を譲るべきなのだろう。
突然で、私は何も返事ができなかったと思う。
彼女はひと通り喋って帰ってった。
真っ赤な口紅が印象的だった。
私はこの仕事を辞めるのか?
次は、どこへ行くと言うのだろう。
友人の紹介で始めた仕事であって、私にはもう学校から仕事の斡旋はない。
寮の事務、大学職員で年配のKさんが、
「図書館の子が来たみたいだけど、尚美ちゃんが続けたかったら、断っていいんだからね。辞めなくていいの!」と私に言った。Kさんの言葉はありがたかったけれど、図書館まで行ってあの彼女に、仕事の引き継ぎを断る気力が、私にはなかった。
やり場のない不安が、日に日につのっていく。
将来の夢もやりたいこともあった。でもその前に、私は生活費を稼がなければ。
MさんとRさんとの気まずさを抱えながら、日々は過ぎた。
寮生の「最近、保里嬢の様子が違う」という声が私の耳にも入る。
そうこうしているうちに、3月31日となり、17時、就業時間の終わりを迎えると、あの最初の4月1日のように、受付のある2階ロビーがまた寮生でいっぱいになった。
わらわらと集まりはじめた寮生に、何事かと思っていると、どうやら私の歓送会だった。新年度の寮長となった3年生のT君が「1年間ありがとうございます」の挨拶文を読むと、私は、大勢の寮生に囲まれながら、1年生から大きな花束をもらった。
私はお礼を行って、受付を後にした。
校門でタイムカードを押す。
もう明日から、私はここに来ないらしい。
私は、自分から受付のバイトを「辞めます」と、一言も言っていない。
私は、ところてんのように押し出され、次の仕事を見つけなければならなくなった。
私の学生寮での1年は、そんなふうに終わった。
それからしばらく、どうやって生きていたのか。
半年くらい、危うい生活が続いた。
そして今、こうして私は生きている。
何よりあのたった1年のバイトで、30年経った今でも、やりとりが続く寮生がいる。古くてあたたかな友人のように。
それが何よりの奇跡だと思う。
寮生が入れ替わり立ち替わりで、それぞれのおすすめ本を貸してくれたので、当時のベストセラーは、かなり読んだと思う。
村上春樹、村上龍、宮本輝、原田宗典。シドニー・シェルダン。
貸してくれた寮生の顔と名前だって覚えている。
ロシア語学科のMさんがくれたマトリョーシカは、今でも私の宝物だ。
真っ赤な口紅の彼女は、寮生の2年生と付き合ったと風の便りで聞いた。
私にも、そんなチャンスがあったかもしれない。
もしそんなことがあったら、寮生ひとりひとりとのやりとりを、こんなにも鮮明に覚えてはいないと思う。
あんな風にしかできなかった日々を、愛おしく思う。
出張編み物クラブ@kissa
@kissa
HOLY’S出張編み物クラブ
三次市吉舎町にあるカフェ「kissa」@kissa_nanokaichi さん。
店内に、広島の本屋さんREADAN DEAT @readan_deat の「ハナレ」があるご縁で、出張編み物クラブやらせていただきます♩
日時 10月15日(土)
1部 10:00〜
2部 13:00〜(15:30 終了)
定員 各7〜8名
場所 kissa
〒729-4211 広島県三次市吉舎町吉舎397 tel:090 9063 0376
・駐車場は、店舗裏に5、6台。満車の場合は、店舗駐車場向かいの商店街駐車場へお願いします。
・申込はメールにて、題名を「編み物クラブ申込み」として、メッセージ本文に
1.お名前 2.参加人数 3.電話番号
4.希望される時間帯とワークショップ(初級ワークショップか編み物クラブ)をご記入の上、kissa.nanokaichi@gmail.com宛にメールをお送りいただくか、もしくはInstagramの@kissa_nanokaichiへDMにてお申し込みください。
・初級ワークショップ(指人形orコーヒー豆コースター)は、1回3600円(材料・テキスト込み)
編み物初めての方も大丈夫です。(10時の回に来ていただけると助かります!)
・編み物クラブでは、編み物のご質問を受け付けます。今、編んでおられる作品、または、働くセーターの質問など、なんでもオッケーです。
材料はご持参いただき、参加費3500円。
・どちらのコースも、参加費にkissa さんの1ドリンク付きになります。
おいしいカレーやマフィン、カフェメニューあります。遠方の方も、山のドライブを楽しみながら、編み物とカフェランチ、ご一緒にいかがですか?