HOLY'S BLOG

Yくんのこと(私が学生寮で学んだことvol.12)

 

Yくんは、私と同郷の一年生だった。
そのせいか、親しみがあって、緊張することもなく、いつも短めの会話を交わしていたと思う。
肌が白くて線も細く、吹奏楽部に入部し、音楽を愛していた。

 

ある秋の朝、私が母に縫ってもらったウールフランネルのセーラーカラーのプルオーバーを着ていると、受付の窓からYくんが「あっ」という顔をして、まっすぐ部屋に入ってきた。
「いいなぁ」と言いながら、私のプルオーバーを眺め、背中のあたりを上から下へ、生地の風合いとラインを確かめるように撫でた。
私はダークグレーのセーラーカラーに、黒のタートルネックを合わせ、古着のカーペンターパンツを合わせていた。
彼は羨ましそうに細い指先で、セーラーカラーのフォルムを辿る。
背中から肩の縁をくるっと回り、胸の合わせまで。ほんの一瞬、山田くんの指が私の胸の上を通った。
きっとこのプルオーバーは、彼にも似合うと思う。

 

彼が持ってるもので、私が持ってないものはたくさんあるけど、私が持ってて、彼が持ってないのは、このプルオーバーだけのような気がした。
うっかり「あげるよ」と言いそうになった。いや、これはあげられないよ、私も気に入ってるし、着るものがなくなっちゃう。

 

12月を過ぎると、Yくんは黒のメルトン地のダブルロングコートを(やっと気にいるものに出会えたのであろう)ちょっと嬉しそうに手に入れていた。
ベルトを締めると。華奢な腰のラインが露わになって、黒いゆきんこのようになった。
程なく、受付に女の子が迎えにくるようになり、私が寮のインターフォンで呼び出すと、Yくんはコートのベルトをキュッと締めながら、女の子と並んで出かけてった。

 

Yくんから、一度だけジャズのおすすめを教えてもらったことがある。
Yくんは、ソニー・ロリンズのアルバムをカセットテープに入れて私にくれた。タイトルと曲名が縦長の文字で書かれていた。
私は今でも、ソニー・ロリンズを聴くと、Yくんを思い出す。

 

 

いつか私が、いつものリップクリームを忘れ、仕方なく持っていた色付きのリップクリームを塗った日に、Yくんが「今日は口紅塗ってる?」と私に言った。
まるで弟に指摘されたような気になってしまって、私はそれからさらに寮では化粧っぽいことがしにくくなってしまった。

Yくんのせいではなくて、何か恥ずかしいような気がしたからだ。
皮膚が薄いせいか、色の付くものを付けると色味以上に赤味が増す。

Oさんのこと(私が学生寮で学んだことvol.11)

Oさんは四年生で、研究職を約束された人で、就職活動をしていなかった。
痩せてて顎が尖っていて、度の強いメガネをかけ、いつもゆっくりと歩く。
部屋のドアに、アニメキャラクターであろう女の子の特大ポスターが貼られてあり、彼は自他とも認める「オタク」であり、研究については一目置かれてようだ。

 

私が受付で本を読んでいると、彼がおすすめというライトノベルズを持ってきた。おもしろいからと言うので借りたのだが、私はあっさり、その日の帰りの電車の中で読み終わってしまい、次の日、なんとも感想が返せなかった。高校生の男女の恋愛小説だったと思う。

また別の日、私が稲垣足穂を読んでいると「きっとこれも好きだろう」と室生犀星を持ってきた。「蜜のあわれ」だったと思う。老作家と金魚の女の子のお話しで、内容より室生犀星の口語体の美しさに、その後も読み続ける作家となる。

 

私が背中まであった髪を切り、あまり気に入らないまま、外はねにスタイリングして行くと、何かのキャラに似ているとかで、Oさんだけがえらく褒めてくれた。

 

 

誰もいない午後にフラッと受付に来て、私の隣の椅子に深く座った。落ち着きがあり、緊張させない人。
何を話す訳でもなく、ぽつりぽつりと言葉を交わした。

ふと私が「ここでバイトをはじめて、自分が何も知らないことがよくわかった」と話すと、Oさんがそれは「無知の知」だと教えてくれた。
自分がわからないことを知ることと、わからないことを知らないのでは、大きく違い、無知を知ることはいいことだと言う。

 

Oさんは立ち上がると、座った椅子を丁寧に机の下に収めた。
実は、それをする人は珍しく、寮生にとってここは生活の場だからと、私は自分を納得させながら、歩く人の邪魔になるから、いつもすぐ椅子を収めていた。
私が思わず「ここで椅子を納めた人は、Oさんがはじめて」と言うと、

「当たり前のことです。」と笑って出ていった。

Oさんは時々、白衣を着て歩いた。

私がいつかOさんに「どんな研究をしているの?」を訪ねると「試験管に薬品を混ぜ合わせて‥」と教えてくれたのだけれど、私にはOさんの話す内容がさっぱりわからず、気が遠くなるだけだった。

 

今朝、Oさんのことを思い出すと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」が頭に浮かぶ。優れた研究者は、すばらしい文学者でもある。Oさんなら、老技師とブドリの行いについて、解説してくれるんじゃないかな。

ワタナベ君のこと(私が学生寮で学んだことvol.10)

 

寮に「ワタナベくん」は何人もいたけど、今日はあのワタナベ君の話をしよう。

ある朝、受付の始業時間になるかならないかで、電話のベルが鳴った。
出たかと思ったら、もうひとつの電話も鳴りはじめる。
「◯学部◯回生のワタナベ君、おねがいします」
最初は女性の声で、保留した次を取ると、やはりワタナベ君へ、今度は男性からだった。
同級生が亡くなったらしい。
どの電話も、息が荒く動揺がこちらにも伝わってくる。
ワタナベ君を呼び出しても、いない。
「今、いないようなんです」と言い、名前と電話番号、折り返し電話をくれるように、のメモを何枚も残した。

不在時の連絡は私がメモに残し、それぞれ部屋宛ての郵便ポックスに入れておく。
戻ってきた寮生は、自分の部屋のボックスに、日に何度か手を突っ込んで、自分への連絡が来てないか確かめる。

ワタナベ君は、シャワーを浴びに地下の風呂場に行ってたようで、濡れた髪で階段を上がってきた。
「あっ」と思いながら、他の電話の対応に追われ、ワタナベ君が郵便ボックスに手を入れる姿だけを確認する。
ワタナベ君は「書くもの」を借りにきて、急いでフロアの公衆電話から電話をかけようとしている。

ワタナベ君と次に会ったのは、その1時間後だったか。朝の電話ラッシュが落ち着いた頃だった。
紺のスーツに着替え、髪も整えたワタナベ君が、受付に入って小さくお礼を言ってくれたように思う。今から友達の所へ向かうと言う。

窓の外だけを見ながら、友達が亡くなったと話す。同じゼミ生で、前夜、彼の運転する車で一緒に出掛け、自分だけ用事があって先に帰ったのだと言う。

「あのまま一緒にいたら自分も。」
「彼を事故に合わさずに、済んだかもしれない。」

ワタナベ君のきれいな横顔が止まって、無音になった。
「式はどこで?何時からはじまる?」
一瞬、そんなことを聞きそうになったけど、やめた。
私が、一緒に付いて歩ける訳ではない。

どのくらいの時間が経っただろう。
「さえんね」とだけ、私が小さく呟いた。
ワタナベ君が窓際からふっと視線をこちらに向けて、小さく笑った。
受付のドアの方へ、私の後ろを歩きながら「さえんね」と、ワタナベ君も口にした。

ワタナベ君は愛知県出身で「さえんね」は、広島弁だったかもしれない。通じたのかな。通じたんだと思う。
「行ってきます」と言う彼を、階段を降りてくワタナベ君を、私は受付の窓から見送った。

あの日も、今朝みたいに晴天の朝だった。

私は、ワタナベ君とのこのやりとりを残したくて、この連載をはじめたんだと思う。

Selbuvotter

セールブー手袋のパターンを引くには、ちょっとした方程式のようなものがあります。

どのサイズで作っても、数字がぴたっとはまる数字が出てくるのですが、口ではうまく説明ができません。

 

いつかまとめられたら、ゴフスタインの絵本みたく、布貼りの小さな本にしたいです。

手頃な価格の本にはならないけれど、大切に使い続けてもらえるような一冊に。

サンカ手袋の新旧

新しくお作りした手袋と、

長く使ってこられた手袋のお直しと。

お直しした指先です。

編み直した右中指と、

薄くなって編み目に糸を足した左中指です。

長くお使いいただた手袋と、同じような手袋をまたオーダーいただくほど、うれしいことはありません。

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