2026.02.27
既視感

2019年「ゴフスタインと私」展で試作したサンカグローブは、小さな間違いに気づき、片方は指先まで編み上げていたけれど、もう片方は手の平まで編んで、そのまま置いていた。
個展では、同じ配色で、小さな間違いを正し、新たに編んだ手袋を並べ、旅立った。

『手袋と街』の製作時に、その編みかけの親指を使って、ハンドウォーマーのためのリブ編みをテストしていた。確か親指のリブの長さを測ったんだと。

テストニットで試したやり方は『手袋と街』の中で使えるものとして別の色合いで作ったんだ。
片手は5本指まで編み上がり、もう片方は指のないまま、しばらく脇に放り込まれていた手袋を、ふと取り出し、ハンドウォーマーに作り変えてみた。

この色合い。
あのサンカ手袋は、今でもまた編みたいと思うほど。当初は、ゴフスタインの絵本『画家』からインスピレーションを受けて製作したのだ。
ある既視感に立ち上がってくる。
先月訪れたニセコの風景。
雪と雲と光が溢れる。

羊蹄山が向こうにそびえ、雪をはらんだ雲が浮かぶ。その雲の厚みは、やはり広島のこの季節のそれとは違う重みを抱えている。そして青空も広がり、雪と相まって光が溢れてた。
雪の白は、青みを増す。
この景色だったんだ。
ニセコを思う時、ふと口をつくのは「帰りたい場所」だった。なぜだろう。
「行きたい場所」ではなく。
私にとって、広島はもう仕事をする場所なのかもしれない。
わかっている。まだ雪国の何も知らないことも。
「帰りたい場所」
ぎゅっと喉の奥が熱くなった。