HOLY'S BLOG

旅する働くセーター吉舎町

はじまりました!
旅する働くセーターkissa編
三次市吉舎町にあるカフェ「kissa」 @kissa_nanokaichi のよしたかさんとあゆみさんに出会い、セーターを託してから、きっとお二人なら、素敵な連載になると思っていました✨

きっとどの街にもすてきな人が住んでいて、日々を営んでおられる。

#Repost @kissa_nanokaichi with @use.repost
・・・
旅する働くセーター kissa編

HOLY’Sさん @kn.holys からバトンを渡されて1ヶ月ちょっと。
いよいよ、というか、
ようやく、はじまります。

旅する働くセーター kissa編。

吉舎町を中心に、
kissaとご縁のある方々に
着ていただきます。

【No.01】
有重 由紀子(ありしげ ゆきこ)さん

ご家族でお米農家を営んでおられる
有重由紀子さん。

有重さんは地元の農産物を加工・販売する
「きさやわた ふるさと味の会」の代表でもあります。

 

kissaにもいつもふらっと来てくださり、
気が付いたら数時間哲学的なお話をしたり。
「セーターを着た写真を撮らせてください」
とお願いしたのは撮影の二日前くらい。
撮影当日の朝8時半にお邪魔すると、
お餅のパック詰め作業中でした。

柔らかく優しい声でおしゃべりされる有重さん。

丁寧に袋詰めされたお餅には
「もちっ娘」というラベルが付けられるのですが、
きれいに並んだこの真っ白ですべすべなお餅たちは
有重さんやこの加工所のスタッフさんにとって
本当に子どものようにかわいい存在なのかもしれないなぁ。

そんなことを思いながら
撮影後に有重さんが淹れてくれた梅昆布茶をすする
私たちなのでした。

 

明日への余力を

夜中に2目ゴム編みが編み終わっても、2目ゴム編み止めは、明日にしましょう。

手を置くのも大事です。

たくさん編めても編めなくても。

 

木葉猿 は、熊本出身の仕事仲間からいただいた熊本の郷土玩具だ。見守られるように仕事をしている。

 

編み図と楽譜(林央子さんとのことvol.2)

今季も、たくさんの方に「働くセーター」。
そして「働くクルーネックベスト」の編み方リーフレットを手に取っていただいてます。ありがとうございます!
私の元へも届く「編みました」の便りは絶え間なく、日常着の定番に仲間入りのよろこびを感じています。
「働くクルーネックベスト」は、「働くセーター」出版後に思いつきました。
編み図ができて、編み方リーフレットの形にしてくれたのは、私の友人です。
正しくは、私の友達の旦那さんです。印刷物のデザインをしていて、事務所は、ちょっとした印刷工場になってます。
彼は、編み物をしない人です。彼の仕事のスタイルとして、まず私から、編み物をする人は、編み図をどんな風に使うか、長い長いリサーチがありました。
2人で、この編み図に何が必要かを考えていきました。
私がやってる編み物クラブで、働くセーターを編まれる方々を見てると、編み図のページを可能な限り、拡大コピーし、そのおひとりが編み終わった段を2色鉛筆で一段ごとに塗りつぶしておられました。
「いろいろやってみて、これが1番確実。」
増やす段、そのまま編む段と下から上に上がる編み図を読み進むのは、慣れない方にとっては、至難の技です。
「じゃ、編み方リーフレットにも、拡大コピーと色鉛筆付けよう」ということになりました。
編み図を保存しておくためのファイルと、編み図、拡大コピーと色鉛筆、
初の編み方リーフレットのリリースということで、HOLY’Sオリジナルのポストカードをプレゼントにつけました。
友達や、ホホホ座のスタッフさんがパッキングしてくれて、皆さんの元へ届いています。
この編み方リーフレットを「楽譜みたい」と言われたのは、エディターの林央子 さんです。(前回の、「林央子さんとのこと vol.1」は、こちらになります。)
林さんにこの編み図をお見せしたのは、今年の1月。林さんとのトーク配信の準備として、互いの発行物を交換させていただきました。
(トーク配信は来年1月27日まで見ることができます。→ignition garary
林さんは、この編み図を見て、
慌ただしい日常から束の間、この編み図に向かい編み物をする時間だけは、
まるで楽譜に向かって演奏する時のように、編む時間を「神聖な」ものとして、私が作っている、と捉えてくださいました。
私と、友人は、そんな、すごく良い意味に言っていただけてうれしいと、小躍りしてよろこびました。
楽譜と編み図。
林さんだけでなく、何度か「似てる」と言われたことがあります。
確かにそうです。
記号や、共通用語で、私も洋書の編み図を見ますし、楽譜も理解します。
本と同じように、紙に書かれた「記号」は、時代も国境も超えて、形なきものの「形」を私達に教えてくれます。
前にここにも書いたことがあるのですが、私は10代の終わりから20代にかけて、楽譜を清書する仕事をしていました。
楽譜浄書と言って、レタリングされた黒丸と白丸がクッキリと形作られた楽譜を、製図用のインクとカラスペンで5線から作り、膨らんだスラーを引き、符尾をスタンプで押すのです。その技法は、日本独自のものだそうです。
職人のオジサン達の補助的な仕事ですが、経験を重ねることで、私の仕事にも深みが増し、面白味は変わっていきました。
オジサン達の職人技には、目を見張り、尊敬していました。
作曲家から荒く書かれた原稿を読み解き、譜割を決め、より読みやすく、美しく、演奏しやすいように割り付けしていく仕事です。
ピアノ譜なら、ページを捲る左手の最後が「四分休符」に当たるよう、割り付ける必要がありますし、
使う音域の広いギター譜を一本の五線に配置し、ページを読みやすくするのは、経験だけがものを言います。
そこに審美感が加わり、黒と白の、空間と流れを作り出すのです。
私はその仕事を一生しても良いと思っていました。
一日中、例えば生誕記念のシューベルトの歌曲集に取り掛かっていると、読めもしないドイツ語でも、音の印象は感じられました。
IBMのタイプライターから、目線を外ずすと、五線の残像で、小さな工房の景色には、ボーダー柄が乗っかります。
夢の中にも「Ich」「Nein」が飛んでいました。
当時のヒット曲集、どんなに複雑な小室哲哉さんやミスチル桜井さんの楽曲でも(この場合、彼らの直筆を起こすわけではありません。バンド譜ですから、編曲者の先生の原稿が届くのです。)メロディの構成は、1カッコ、2カッコ、コーダ、ダルセーニョで、示しせるのです。
どんな楽器でも、和楽器にも教会カンタータでも、全ての曲に楽譜は存在していて、楽譜工房で作れない楽譜はありませんでした。
編み図も、同じです。
古いオーストリアの、アランパターンの元になったのではないかと思われる、複雑な交差模様も、今よりずっとシンプルな記号で書かれた編み図で読み解くことができますし、またそれを用いて新しくデザインを展開していくことができます。
楽譜を見ることも、編み図を読むことも、私自身には日常にあったので、意識的ではなかったものの、
それでもやはり、いにしえの作り手の方々と、紙の上で対話する、という行為は、何ものにも代え難い、特別なものがあります。
それが文字ではなく、ほぼ万国共通でありながら、その読み方を習得しなければ、読み解けない記号。
国語や英語に辞典があるように、楽譜にも楽譜辞典があり、編み物にも「編み物用語集」があります。
楽譜の仕事をしていた当時、恋人が演奏する人で「新しい楽譜を手にする時、インクの香りで出版社がわかる」と言っていて、私にはその感覚が手に取るようにわかりました。
全音楽出版のピアノ譜、シンコーミュージックのギター譜。教育芸術社の音楽の教科書。日本ショット社の現代音楽譜は、薬品っぽいちょっと刺激のある匂いがしました。私は今でもその表紙と共に、それぞれの新しい楽譜が放つ香りを思い出します。
恋人にとっては、新しい楽譜を手に取る時の、背筋の伸びるような思いが、私にとっては、無事出版に行き着いた安堵感です。彼にとっての巻末にある作曲家の顔写真が、私にとっては、通った出版社の編集者の顔になるのです。
もののデザインとは、付け足すものではなく、使う人の用途を考え尽くし、いらないものは省き、行き着いた先がデザインだと、私は思っています。これは、私の兄のような存在の、家具を作る友人が言った言葉でもあります。
その結実が、働くセーターになりました。
 
なので、「働くクルーネックベスト」の編み方リーフレットが楽譜のようだったのも、そうあらねばならなかったのです。
林さんの言われた「楽譜のよう」が嬉しかった訳を書くとこんなに長くなってしまいました。
とりとめのない思いに、誰が耳を傾けるというのでしょう。
林さんの一言で、自分に眠る意識に気付きました。
働くクルーネックベストの編み方リーフレットのお取り扱いは
webstore および、onlinestore から「HOLY’S」「働くセーター」で検索してください。

dee’s magazine「Diary」

@deesmagazine の千葉美穂さんから、dee’s magazine 特別版「Diary」届く。
2022年10月3日から11月11日まで40日間、千葉さんのごく個人的な日記なのだけど、ある一時期を集中的に詳しく書くという行為。
こんなにも彩りが感じられるとは。

手のひらに乗る小さな本。
50冊だけ作られるナンバリング。
書き手自ら仕立てられた本とは、なんて愛おしいんでしょう。

私がこの10月、東京出張の際、千葉さんとご一緒した1日についても語られている。
ちょっとこそばゆいような。
千葉さんの目線になって振り返る。

これを読んでいると、自分も日記を書いてみたくなります。

誰かに見せるかも?って目標があったら、やれるのかもしれない。

千葉さんと同じ本を読んでいることもわかる。
よかったよね、、あの本、千葉さん。

「文フリ」というのが、なんだか憧れキーワードなのだ。

ユズリハとユーカリ

今朝、思い出したことを書きます。

 

病院のフリースペースで、週一で編み物クラブをやっていたことは、にも書きました。

 

長く一緒に過ごしたスミエさんは、旦那さまの付き添いで、毎週、編み物クラブに参加してくださいました。

子供の頃から、と言われる牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、その奥に笑う小さな目は、まるでドリフのコントみたいに思えました。
くせっ毛のショートヘア、白髪染をなさっておられ、髪は豊かでしたので、年齢より若く見えました。

結婚して入ったお家では、義婆さん、義父さん、義母さんと、病気の人を常に看続けていたと言われます。

 

最初は、帽子ばかり編んでおられました。

徐々に、着るものも編まれるようになられ、手順を私が説明すると、鉛筆を握りしめ、目数や段数を書かれるのですが、ノートにグッと顔を寄せ、鉛筆でぐいぐいと書くのです。
お世辞にも綺麗な字とはいえなくて、器用そうでもありません。
私は、そこに6才の、一生懸命字を書く、小さなスミエさんを見るような気がして、愛おしく思えました。

田舎に住む年の離れたお姉さん二人の、曲がった背中を覆うことのできる、前身頃が短くて、後身頃の長いちゃんちゃんこを2枚、編まれました。

 

子供たちは巣立ち、旦那さまだけを診る生活になられ、やっと自分に目を向けられるようになられたのでしょう。

ピアノで「ドレミファソラシド」を弾くのが夢だと言われました。

私がノートの開きに、鍵盤大の大きさで、白鍵と黒鍵の絵を描くと、嬉しそうにその上に指を置かれます。

ちょうどその時、編み物クラブには、ピアノの上手な女性がおられ、スミエさんに「ドレミファソラシド」の指の運びを教えました。

スミエさんは、「ドーレーミーファッ、、ソラシドー」
「ドーシーラーソー、ファッ、ミレドー」
と声に出しながら練習します。

「小さいのでいいから弾いてみたい」
と言われるので、その日、クラブが終わると、3人で最寄りの電気屋さんに行きました。

小さな2オクターブ半のキーボードなら、5000円からありました。
そこでも、今度は音を出して、スミエさんは「ドレミファッソラシドー」を練習しました。

「娘に相談する」とスミエさんは言って、その日は別れました。

次の週、スミエさんは、娘さんを伴って、キーボードを手に入れたと、嬉しそうに報告してくれました。

「毎日練習してる」
というスミエさんに「チャレンジャーじゃね」と私が言うと、スミエさんは「チャレン婆よ」とイタズラっぽく笑いました。

 

それから、病院での編み物クラブがなくなって、前にもここで書いたヨシノさんと、みんなが元気な時に、同窓会のようなことをしました。
みんなで手を握り合って元気でいることを約束しました。

2度目は、なかなか叶わず、、みんなの年齢が重なり、外出がだんだん難しくなっていたんですね。。

スミエさんからいただく年賀状の「尚美ちゃんへ」と筆文字は、年々大きくなっていきました。

 

私は二度、スミエさんを訪ねたことがあります。

一度は、お留守でした。

小さな長屋の表札には、かつては大家族の、子供たちやご両親の名前が連ねられていました。

二度目に会えました。
ピンポンを押して、随分長い時間をかけて、スミエさんの引戸があきました。

大腿股関節骨折をしてから、動きにくくなったと言いつつ、かつての大家族が住まわれていた小さな長屋に、一人暮らしをされていました。

週2日のディサービスの他、ヘルパーさんの来られる日、リハビリに行かれる日と、スミエさんの毎日は、スケジュールでびっしりでした。

片づけられた玄関には、ディサービスで作られた工作や書が飾ってあります。

スミエさんは椅子に、私は玄関のたたきに座りました。

壁に詩のようなのが貼ってあり「これは?」と聞くと、
「自分の歌を作ってみたいってずっと思ってて、
これまで生きてきて思うことを、ディサービスで作ったのよ」と言われる。その歌詞なんだそうです。

私が「聴きたい」って言うと、スミエさんが歌ってくれました。
これまで生きてこられて、お父さん、お母さん、お友達にありがとう、感謝します、という内容だったと思います。

恥ずかしかったりすることなく、スミエさんは真剣に歌ってくださいました。

1番、2番で、終わったけれど、いつまでも聴いていたいと思いました。

それがスミエさんと会った最後です。

電話をしても、留守番電話だったのが、現在使われていない電話になりました。

 

 

スミエさん、ユーカリの木は、触るとさわやかな香りがしますね。
鉛筆を削った時の香りに、似ているかもしれません。

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