2025.04.01
呉の街
昨日、自分の誕生日を前に、お墓参りに行ってきました。
私の両親は、それぞれ広島県呉市の出身で、父方は川原石に、母方は吉浦にお墓があり、私は幼少から両方の墓参りをするのが、盆や彼岸の慣わしでした。
私自身は、広島市内で育ちましたが、通った呉の街には、やはり馴染みがあり、この景色を見ると懐かしさすら覚えます。
林芙美子の放浪記のように「これが呉の街だ」と心の声が叫ぶのです。
向こうに見えるのは、造船跡地の煉瓦建物です。
重々しく圧倒的で要塞のようでもあり、近くで見るとちょっとした恐怖さえ感じます。
それはこの街が、戦争によって栄え、加担した街だからです。
貧しいものは食い繋ぎ、富める人は財を成しました。
戦争による産業の発展で、人々が往来し、街を形成しました。
広島が原爆によって破壊されたと被害者になるより先に、広島の軍港からも、呉の造船や軍港からも、たくさんの人が戦争に送られたことを、刻んでおかなくてはなりません。
戦後が戦後であり続けるために。
ナチスは世界に自国の過ちを認めました。
日本は認めないまま、被害ばかりを訴えます。
これでは、何も学んでいないように思えるのです。