HOLY'S BLOG

4月27日

友達のお墓参りを終え、急斜面の自転車を押していると、農道から出てきたおじさんと顔を合わせた。

「たいへんじゃのう」

こちらを見るともなくおじさんが言う。

「私は、たまの墓参りにですけぇ」

労われるには、後ろめたさがあった。

家族の頻度に比べると、申し訳なさがある。  

最近あったことと、これからのこと。 報告することは、いろいろあった。

「ほうかぁ」

「ありがとうございます」

おじさんは、車止めに入ってった。

私がまだ自転車を押していると、後ろからおじさんの自転車が追い越して行った。

私は「電動かあ」と声が出た。

「さすがぁ」 私が言うと、おじさんは前を向いたまま、手を振ってくれた。

空は高くて気持ちよかった。

  おじさんの「たいへんじゃのう」は、電動じゃない私の自転車のことだったんだ。

言葉は、受け取る側が意味を作るんだなと思う。

私がしてもらったたくさんの「恩送り」は、天に届くんだろうか。

墓石を見ると、ちょうど彼女の月命日だった。

今度は、ハイキングを兼ねて来たいと思う。 水源の山並みは深く、彼女のようになりたいと思った。

市原湖畔美術館へ

自分にとって、大切なことほど、なかなか言葉にできないものですね。。

先週末の旅のきっかけは、市原湖畔美術館ではじまった「末盛千枝子と家族の人々」展」に行くことでした。

すえもりブックスを立ち上げ、数々の絵本を手掛けかれ、
絵本作家ゴフスタイン自身から、日本での出版を一任された末盛千枝子さん。

今、現代企画室版となったゴフスタイン作「ゴールディのお人形」「ピアノ調律師」をはじめとする絵本の数々。

2019年、私が「ゴフスタインと私」展を企画した時、
まず、ゴフスタイン絵本の各出版社に一通ずつ手紙を書くことからはじまりました。
内容は、ゴフスタイン絵本からインスピレーションを受けた作品作りとその展示を企画していること。
私の自己紹介と、作品について。
開催時には、ゴフスタイン絵本も一緒に展示販売したい、その取り扱いについての許可と依頼といった細々なこと。

その企画展から「働くセーター」は生まれました。

#ゴフスタインと私

 

それ依頼、現代企画室のEさんとは、丁寧なお付き合いをさせていただいていて、
最初のやりとりからはじまり、私のイベントにも何度か足を運んでくださいました。

また、現代企画室のHPで、私の展示会「ゴフスタインと私」展の告知さえ、行ってくださったのです。

ゴフスタインの絵本に勇気づけられた人、特にアーティストの方で、影響を受けた本として『ゴールディのお人形』をあげる人も、たくさんいる中、私はそのものづくりをする人間の端くれにすぎません。

 

 

私からの報告は、末盛さんにも共有され、
それが当時の私に、どれほどの励みになったかわかりません。

末盛さんの手掛けてこられた絵本は、「子どもたちのため」だけでなく「大人のため」の絵本であり、常に「なにを美しいと思うか」を問われています。

数々の絵本の原画、また日本初、ゴフスタインの原画も見ることができます。

彫刻家の舟越保武さんを父とし、芸術家一家の長女として生きてこられた千枝子さんの人生は、決して穏やかではありませんでした。

弟さんの舟越桂さんの彫刻をはじめとするご家族の作品、そして末森さんの生き様を感じられる展示となっています。

保武さんの『ダミアン神父像』を見ていただきたい。

 

誰かが作ったもの。
芸術のみならず、作品に出会う時、
私たちは、いつもその向こうを、感じているのですね。

表現や技量など、ただの方法に過ぎなくて、そのとてつもない鍛錬の先に、自在に心を移す指先が生まれるのかもしれません。

「末盛千枝子と舟越家の人々」
市原湖畔美術館
2023/4/15(sat.)〜6/25(sun.)

*アスセスは、市原湖畔美術館のHPに詳しくありますので、ご参照ください。
私は横浜から高速バス〜タクシーで行きました。

 

失敗セーターを着てみる

いつかの失敗セーターを着てみました。
サイズ4に仕上げるはずが、手が緩んで大きくなりすぎたセーター。

デニムにインしてみました。
ゆるっと着るのもいいかもしれない、なんて思ったりして。

失敗の話もよかったらぜひ、お読みください。

 

 

 

サニーディサービスのライブにて

昨夜、サニーディ・サービスのライブに行ってきました。

久しぶりの広島Club Quadro。
コロナ禍では全く足を運んでなかったので、3年以上ぶりになります。

大音量と、踊っていいフロア。
新旧おり混ぜたセットリストと二度のアンコール。

最後まで夢中だったけど、私は頭の中で、全く別のことに気づいていた。

それは、

私が、デザインし作ったセーターを着た友達が、うちの部屋のドアを尋ねてくれる。
それがどんなにか素敵かってこと。

ピンポンが鳴ってドアを開けると、友達が私が編んだセーターを着てそこに立ってるってこと。

前回の投稿に、一昨日友達が、私が作ったベストを着て、うちに寄ってくれたことを書きました。

あのベストは、彼女が木にちなんだ名前を持っているから、木々とそしてリスがその森で遊んでる様子、というお題をもらってデザインしたベストだったけれど、あのパターンは、あの後、何度も作り、別の人のセーターにもなった。

私には、彼女のような、私が作ったセーターを着てうちを尋ねてくれる友達が、いく人か、いや、何人もいて、
もしくは、私がよく行く先々で、
紅茶を買いに行くチャイショップや、紙ものを作ってくれる友達や、一緒に美術館に行く友達や、近所でパン教室をやってる友達とばったりとか。

それらは、働くセーターが生まれるよりもずっと前からで、
私はその人達のおかげで、仕事が続けられており、その一着一着は、全部、私にオーダーをくれた人達のリクエストを聞き、デザインして作っている。

そのセーターをもう何年にも渡り着てくれて、季節になると、それを着た彼ら彼女に会えるのだ。
私の日常では、当たり前で、もちろん日々それを見るにつけ、悦に入り満たされるのだけれど、
それは人にあるごく稀なことだと、こんな素敵なことはないんだと、ライブを見ていて、気付いたのだ。

長く長く聴き続けてきたサニーディ・サービスの久しぶりのライブで、
今のサニーディがくれる多幸感の中で、
自分にすでに与えられているしあわせについて、大音量でグルービーな頭の中で考えていた。

・・・

そして、私は今まで、私が自分のためだけに楽しんだことを書くのをいつもためらい、隠していた。
それは、常に私にオーダーをくれて製作を待ってくださってる方がいて、その時々で一緒に仕事をしている相手のこととか。

そのことを考えると、申し訳ない気持ちになり、ずっと書かなかったし、書くことは、私が仕事が遅れる言い訳が、できなくなる肩身の狭さからだった。

書くと自分への納期へのプレッシャーは、遊んだ分、増していく。
お待たせしてる人がいる以上、私には遊ぶ時間はなく、そんな中で、
どうしても、どうしても観たい、観なければならない映画やライブ、展覧会だけを、ごく選び抜いて、ササっと行く。
いつも後ろめたさを持っているのには変わりない。

それでも、今日これを書こうと思ったのは、
私に与えてもらっていた、最大のしあわせについて、気づいたから。

うまく伝わっているだろうか。

私の古い友達たちへ。
サニーディは、やっぱり素敵だったし、これからもずっと素敵だね。

友達のフェアアイルベスト

友達が寄ってくれた今日。
何年か前にオーダーしてくれた、樹々にリスが踊るパターンのフェアアイルベストを着てくれてました。
自分の作ったニットが、すっかりその人の生活の1部になり、その人の体に馴染んでいる。
それを見ることができるしあわせは、なにものにも変えがたいしあわせです。

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