HOLY'S BLOG

『一生ものアラン』訂正箇所

 

大切なお知らせです。
拙著『一生ものアラン』(文化出版局 @books_bunka )に新たに3箇所、間違いが見つかりました。

本当にたいへん申し訳ありません。
お詫び申し上げます。

p.77、p.87のアランカーディガンの前立て、
p.91のアランベストの衿ぐりです。

 

お確認の上、みなさまのお手元の本に、お直しいただけるとたいへん助かります。
どうぞよろしくおねがいいたします。

文化出版局HPトップ画面の左下「お詫びと訂正」でも確認いただけます。

本作りはまだまだ勉強です。
製作と共に励んで参ります。
引き続き、どうぞよろしくおねがいいたします。

 

編み物クラブからのお知らせ

HOLY’S編み物クラブのお知らせです。

5月より、初級コースの受講料が5000円になります。

材料費・テキスト代込みです。

どうぞご理解いただけますと幸いです。

5月・6月は、たいへん申し訳ありません。

所用のため、workshop 通常の開講日と変更がございます。

こちらのカレンダーをお確かめの上、受講希望日をご記入の上、お申し込みくださいませ。

どうぞよろしくおねがいいたします。

5月

6月

編み物クラブお申し込みはこちらまで→

 

 

呉の街

昨日、自分の誕生日を前に、お墓参りに行ってきました。

私の両親は、それぞれ広島県呉市の出身で、父方は川原石に、母方は吉浦にお墓があり、私は幼少から両方の墓参りをするのが、盆や彼岸の慣わしでした。

私自身は、広島市内で育ちましたが、通った呉の街には、やはり馴染みがあり、この景色を見ると懐かしさすら覚えます。

林芙美子の放浪記のように「これが呉の街だ」と心の声が叫ぶのです。

向こうに見えるのは、造船跡地の煉瓦建物です。

重々しく圧倒的で要塞のようでもあり、近くで見るとちょっとした恐怖さえ感じます。

それはこの街が、戦争によって栄え、加担した街だからです。

貧しいものは食い繋ぎ、富める人は財を成しました。

戦争による産業の発展で、人々が往来し、街を形成しました。

広島が原爆によって破壊されたと被害者になるより先に、広島の軍港からも、呉の造船や軍港からも、たくさんの人が戦争に送られたことを、刻んでおかなくてはなりません。

戦後が戦後であり続けるために。

ナチスは世界に自国の過ちを認めました。

日本は認めないまま、被害ばかりを訴えます。

これでは、何も学んでいないように思えるのです。

 

伝えること

今日は午後から編み物クラブです。

今朝歩きながら考えたことを書きます。

 

編み物クラブで私は、針を持つのも初めての方がいらっしゃると「編む」行為と構造をお伝えして、その後、手が動くかどうかは、その方を信じるしかありません。

 

「できない」を何度も繰り返しながら、それでも「できる」ようになるまでを、待ちます。

手の行為ほど、人が年を取ったとて、身につけるスピードが早いものはないと、自分自身の経験と感覚、そして伝える立場として見てきて、待てるようになりました。

それぞれの方が、今まで器用に手を使ってきた「それまで」から、新しい動きを習得することのなんと確実なことを。

動かした分だけしか上手にならないけど、動かせば確実に上手になる手を私たちは誰しも持っています。

自転車乗りの感覚と似ていて、私たちは、どこかで常に体のバランスを取ることに長けていて、例えば自転車にはじめて乗る時、バランスが取れなくて最初はあたふたするけど、一度乗れるようになると、体が覚えます。

長く乗らない時期があったとしても、少し乗れば「ああ、この感覚」でまた乗れるようになりますよね。

でも「昔取った杵柄」は、長距離自転車では通用しないのと同じで、編み物も「針は動かせるけれど」編み物筋肉は衰えているので、それを取り戻すためには、それなりの努力が必要になります。

私は、かつてブラスバンド部でクラリネットを吹いていましたが、数年ぶりに演奏するつもりが、すっかりクラリネット筋肉(主に頬と唇)が落ちていて1曲も吹き続けられず、人前で大恥をかいたことがあります。

 

 

先日伺った彦根でのWSで、たぶん80才近い女性の方が参加くださいました。白髪の上品な。

「若い頃、20年、30年ぶりで、長くやってないけど、昔取った杵柄でなんとかなると思うの」と仰る。

私は、正直、心の中では「それはどうかな」と思っていました。その間その日まで、一度も触ってはおられない様子。

WSがはじまると、彼女は手は動くものの、編めるけどぎこちなく、糸を割っておられたり、すっすと手が動かないことを気付かれました。

すっかりほどいてまた指でかける作り目からやり直します。

親指の増し目になると、理解するまでに時間がかかっておられるようでした。

彼女には、隣の周りの若い方が助け舟を出してくれていました。

私はみなさんの周りを回りながら、様子を伺います。

彼女がふと「甘く見過ぎていたわ」と小さく溢されました。

私は黙っていたけれど「気付いてくださった」と思いました。

そこから彼女が変わるんです。

時間はかかるけれども、粘り強く取り組むことによって、何度もほどきながら作り直し、挽回します。

多少の遅れはあっても、理解し、手の感覚を取り戻すと、ひたむきに編み続けられました。

彼女は、親指の増し目も理解して編み続けられました。

「わかった」という感覚になられた頃、私は彼女に話しかけました。

長く看護師を育てる教員として働いたこと。やっと自分の時間ができて、この場所の手仕事のWSに機会があるごとに参加しはじめたこと。

元々、物静かで謙虚な方なんだと思います。

終わるころには、周りの「いつもやってます」チームの若い方々にかなり近いところまで追いついておられました。

WSも終わりになって、私は彼女とその近くにおられる方と、LINE交換をおねがいしました。「助け舟」の女性が応えてくれます。

指まで編めてる方とその後もやりとりできれば、彼女は仕上げることができると思ったからです。

 

人はいつでも変われる瞬間を見せていただきました。

人は結局「姿勢」なんだと思います。

私はそれをみなさんから教わっています。

 

ひな祭り

母が作った雛人形を出してみた。

これはきめ込み人形といって、土でできた土台の上にのりて生地を貼って、自分で人形を仕上げる、というキットセットだったように記憶している。

高価な雛人形は買えないし、小さな場所でも飾れるという、母の工夫と工面だったのだろう。それでも将来、私に持たせて、という気持ちがあったのだろう。

 

先日伺ったお家で、可愛らしい雛人形を見せていただいて、

何年も仕舞いっぱなしだったけど、今日の今日、出す気になった。夜には仕舞うのだが、今日の自分ならそれができる。

いつも慌ただしくすぎてしまうし、ご馳走も何もないけども。

先日出先にいただいた日本酒を夜には飲んで、お祝いします。

本来の主旨とは変わっているけども、これまで元気で生きてこられた感謝の祝いとして。

1 2 3 4 5 6 7 196
1 2 3 4 5 6 7 196