9月6日
母が亡くなった年から玄関に掛けていた母子草の花を、今朝ふと「もうなくても大丈夫よね」と心で呟きながら、燃えるゴミに包んだ。
母子草の花のドライはかわいらしく、友達の何人かは、自分もしたいと言って、うちの庭から長いままあげた。
友達の玄関でも、うちの母子草はフワフワと儚げに揺れていた。
そのくせ何年も乾いた花びらは落ちることなく、綿毛のような黄色の花弁もそのままに玄関にいてくれたのだ。
「春になったらまた会えるしね」
母子草の季節になれば、うちの小さな庭のまた、あちらこちらに咲くだろう。
mina perhonen 皆川さんが描く花のモチーフにも、きっとこれが含まれているんじゃないかと、いつも勝手に思っている。
母子草に対して「父子草」の方は、勢力が強く形も悪役よろしく憎たらしい容貌をしている。
今朝も草むしりをしたが、私はあまり真面目にこれをしない。
雑草が生えて青々としてる方が目に優しいし、うちは大雨が降ると道路の水が一旦うちの庭に溜まるような立地なので、草を地面の堤防にしておかないと、土が流れて行きそうで怖いのだ。
そして私は、朝晩歩く川沿いのしげしげの、雑草の移りゆく様を見るのが大好きだ。
数日前まで勢いよく茂っていた草が茶色になり首をもたげると、その足元に待ってましたとばかりに、次の季節の雑草が。
初秋なら地面に張り付く草が。
初夏なら空に向かってまっすぐ伸びる草が。
中間で「ウマノツメクサ」のような小花の咲きこぼれる序奏のような黄色を眺め、
蒼い「オオイヌノフグリ」は、いち早く春の訪れを教えてくれる。そして露草、ナズナと続く。
こんなことが楽しくて生きていられるのだから、私は相当簡単にできている。
さて、庭の雑草にクマデを入れると、空に伸びた丈の長いのは、スルスルと引っ掛かり、その場を開け渡す。
政界も社会もこんなふうに潔く、世代交代すべきだよ、と考える。
そいつをクマデからはがして、母子草とまとめて新聞紙に包み、今朝の燃えるゴミに出した。
我が家の姫林檎も紅く色付きはじめ、私は、今か今かと収穫のタイミングを測っている。
よく姫林檎を人にあげると「食べられるのですか?」と驚かれるけど、私にとって姫林檎は夏の終わりから秋口にかけて、貴重な食料として当てにしている。
1日1個ずつ、枝からもいで食す。無農薬のビタミン剤。
今年は、姫林檎の実の付き様が少ない。
桜の花が終わる頃、いつもなら林檎の花は満開になるのに、今年は少なかった。
(撮っていた、今年春の姫林檎の花)
人間にバイブレーションがあって、調子の良い時悪い時とあるように、林檎にだって、たくさん花をつけ実のる年もあれば、付かない年もある。
それを「当たり年だ」「不作だ」と文句を言うのは人間の方で、自然の摂理からすれば、ほんのワガママに過ぎない。人間のワガママなんて取るに足らないちっぽけなもの。
わかったようなことを言ってなるべく小さく生きたいと思ってはいても、日が登るとエアコンを付けてしまう。
「朝晩涼しくなりましたね」は、挨拶に過ぎず、一年中エアコンなしで生きてた自分にまた戻れるのだろうか。
仕事の効率を言い訳に、快適さに浸るのも、私のワガママに過ぎない。「お客さんが待っている」などと言いながら。
今朝はもうすっかり秋だ、半袖はもう飽きたんだと、長袖Tシャツにしてみたものの、もうすでに着替えたくなっている。
光芒を見る
このところ、ありがたいことにとても慌ただしく心も体も忙しくしていました。
今日ふと押し迫った仕事としては、いくつかの連絡事項のみ、あとは自分の製作に使える時間となりました。
考えたいこと、作りたいものはたくさんあって、片時も休まずに編み続けたいと思っているものの、ふと気づくと自分が今編んでる手袋は、両方左でした。
ああ、、やってしまった。。
手袋の左右は親指位置で決まるので、小指の先まで編んでる方を、手首までほどいて編み直します。
こっちの親指を編んでいたのは、昨日だから、やはり気が気でない時間帯に上の空で進めてしまったのでしょう。
やる気が空回りしているようです。
もうたくさんの手袋を編んでいるはずなのに、こんなことをしでかすのだから、編み物はいくらやっても成長できる気がします。
いえ、足踏みしてるだけもしれません。
そんな日もあるよと、
ひたすら日々のバロメーターに、過ぎないのかもしれませんね。
それでも今日の小さな一歩を。
広島に呼ばれて
昨年11月末、私は6日間ほどの旅に出た。
その10月に「一生ものアラン」を出版し、いくつかのイベントが終わった束の間の時間だった。
旅の目的は、長野は穂高市、山岳美術館で行われた友人、山本葵ちゃんの製作する山バッチの金型原型展「手のひらの山」を観に行くためだった。
葵ちゃんが長年の夢だったことは、わかっているから、自分のひと仕事が終わり、今なら行けると急遽決めた旅だった。
「一生ものアラン」出版直後から、ありがたいことに東京の本屋さんでのフェアを開催していただき、WSも行った。
息つく暇もなく、慌ただしく過ごしていて、エアポケットのような数日間だった。
穂高と長野により、大阪の万博公園で行われていた手紙社の催しに参加する「cosakuu」さんにも会いに行った。彼女は「一生ものアラン」でモデルとして登場してくれている。
夜に京都に立ち寄り友人に会い、一泊だけして、神戸に向かった。
どうしても行きたい店があった。
須磨海浜公園駅にある「自由港書店」。
「働くセーター」が出て1年ほどたったの頃だったか。編集者さんからのメールで、その存在を知った。
Xにて「働くセーター」とゴフスタイン絵本について、しっかりと読み解いて紹介してくださっていた。
私は感激し、私からお送りできる働くベストのリーフレットや「わたしの一生もの」など、いくつかの手筈をしたのだ。
店に着くと、細い間口の入り口からお客さんが3人いらっしゃるのが見えた。それで店はいっぱいだった。
表で外から見える背表紙を見て、お客さんが出られるのを待った。
店主と思われる男性が「あっ」という表情をなさる。
お客様がひとり、ふたりと出られたので、私は店に入った。
「はじめまして」から、少しずつお話をする。
本屋が、今仕事の全てではなく、4日間は別の仕事をしていて、できればこれから本屋一本でいきたい。
本屋をする場所を探していて、この場所に行き着いた。
トツトツと、これまでのこと、これからのことを伺う。
棚に並ぶ本が一冊一冊、清潔で丁寧に並べてある。
多すぎず少なすぎず。
本も息をするように並んでいる。
いくつかの本を選び、レジに行くと、広島の素描画家のshunshunさんが描いたCDジャケットが目に入る。ピアニスト橋本秀幸さんのCDだった。
「うちではこれだけをかけています」
shunshunさんにも「一生ものアラン」にモデルとして出演してもらっている。
このCDも買うことにした。
その時、私がすでに手にしていたのが、原民喜「幼年画」。装画は、nakabanさん。
彼も広島在住の画家である。
原民喜の「夏の花」は読んでいたが、その本は知らなかった。
装画がnakabanさんなら、うちに連れて帰るしかない。
旅の終わりに、神戸でこれだけ、広島の作家に出会うとは。
お前の帰る場所は、ここだよと言われているような気がした。
根無し草なので、いつまたどこに動くかわからない。でもまだ私は広島でやるべき仕事があるのだろう。
私は須磨から広島に帰った。
2023年12月のこと。
今朝は、2024年8月6日。
原爆記念日をこの本を手に取る。
編み物クラブよりお知らせ
働くセーター重版とお知らせについて
うれしいお知らせがあります。
「働くセーター」が重版、第6刷となりました!!
製作スタッフのみなさん、モデルになってくれた広島のみなさん、そして楽しく編んでくださってるたくさんの方々に、たくさんの感謝申し上げます!!!
本当にありがとうございます!!!
写真:吉森慎之介 @shinnosukeyoshimori
デザイン:葉田いづみ @izumi_nsmt
重版のお知らせと共に、お詫びと訂正がございます。
今さらながら、第1〜5刷までに、まちがいがありました。
本当に申し訳ありません。
大きなまちがいではないのですが、きれいに編むコツとして、身頃から2目ゴム編みに変わる1段、
針の号数を6号から5号に落とし、1段表編みをする段があります。
第1〜5刷のサイズ3、サイズ5の編み図の表記まちがいが見つかりました。
まずサイズ1や、2で、ご自身のを編まれてから、どなたかの大きなサイズを編んだ、という方々だと、問題なく編めたかなと思います。
最初にこのサイズから編んだという方でも、形にはなるのですが・・・。
本当に申し訳ありません。
文化出版局のHPの左下「お詫びと訂正」欄でも、詳しく説明がありますので、どうぞご確認いただけたらと思います。
第6刷より修正し、正しい編み図になっております。
すでに本をお持ちの皆様におきましては、たいへん申し訳ありませんが、書き込んでいただけますと幸いです。
どうぞよろしくおねがいいたします。
#Repost @books_bunka with @use.repost
・・・
重版のお知らせです
『働くセーター』
すっきりしたシルエットと着心地の良さを追求した「働くセーター」。繋ぎ目も袖つけもないので、シルエットが着心地よく、裏表、前後を変えても着られるので長持ちします。シンプルなデザインで男女問わず、年齢層も幅広く着られます。デザインは、セーター、カーディガン、ベストの厳選3種類。5サイズの製図と編み物の基本から編上りまで徹底的に解説します。
保里尚美(ほり・なおみ)
1972年、広島生れ。縫製師の母より、メリヤス編みを教わり、遊び道具として編み物を与えられる。楽譜浄書の仕事を経て、友人に送った手編みの手袋がショップ店主の目にとまり、1999年よりオリジナルニットの委託販売とオーダー製作を始める。現在、広島を拠点に、個展やオーダー会での受注製作の他、少人数制の編み物教室を行なう。著書に『一生ものアラン』(文化出版局)、『HOLY’S USAKUMA BOOK』(自費出版)がある。
IG: @kn.holys
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