HOLY'S BLOG

最終回(私が学生寮で学んだことvol.13)

決して、良いことばかり、あったわけではない。

留学生のMさんに電話がかかってきたのは、受付の電話が鳴り続けた朝だった。
Mさんの部屋は受付と同じ2階で、私は呼びに行ったけど、Mさんはいなかった。
不在を電話相手に告げ、伝言と名前をメモし、次の保留電話に出る。その繰り返しを終えた頃、溜まったメモをきれいに書き直し、それぞれの郵便ボックスに入れたのだが、しばらくするとMさんは、そのメモを私に突きつけ、片言の日本語で「この時間、私は部屋にいたよ!」と怒鳴った。
私がMさんの不在を確かめた後、次々と鳴る電話や来客を取り次ぐ間に、Mさんは部屋に戻っていたのだ。
他の寮生なら、受付を当番制で経験するから、伝言に残される時間のズレは、許容できたと思う。
それからMさんは、私が真面目に仕事をしない人であるかのように、すれ違うとあからさまに嫌な顔をした。こんなに一方的に怒られているというのに、私は訳を話してわかってもらえるような気がしなかった。

 

やはり2階に住む留学生Rさんに、国際電話で恋人らしき女性から、ある時期、毎日、執拗に電話がかかった。

私が部屋まで呼びにいき、(2階1番奥、211号室だった)Rさんの不在を確かめ、受付に戻り、片言の恋人に不在を告げると、彼女は電話を切る。彼女から電話があったことをメモにして、郵便ボックスに入れる。
すると10分も経たないうちに彼女からまた電話がかかってくるのだ。

Rさんは、毎朝どこかに出掛け、とてもすてきな笑顔で挨拶してくれたのだが、不在時に繰り返される恋人からの電話は、毎日続いた。Rさんは、何枚も入る電話のメモを、どう理解していたのだろう。

午後の静かな時間帯に何度も鳴る電話。受付に座っていれば明らかにわかる彼の不在。

「今、まさに彼は帰ってきたかもしれない」なんて彼女の想いを、私は感じでもしていたのだろうか。
私は彼女にどうしても「彼はまだ帰ってないよ」と言えなかった。
毎日何度も211号室への往復を走り続けていると、ある朝、Rさんに会っても、私は笑えなくなった。
Rさんは悲しそうな顔をして、それからもう一度も、受付の前で笑顔を見せることはなくなった。
私はひどく彼を傷つけたと思う。

 

 

年が明け、2月の始めだったと思う。
突然、受付にショートカットの女の子が現れ、自分は今、図書館でバイトしているが4月からここでバイトをしたい、と言った。
私が前年に卒業した、その大学の附属夜間専門学校の生徒だと言う。図書館のバイトは1年更新だったから、受付のバイトも同じと思ったのだろう。
私は、すでに学生ではなかったから、この仕事を斡旋されるべきは、彼女であると思った。私は後輩に、この仕事を譲るべきなのだろう。
突然で、私は何も返事ができなかったと思う。
彼女はひと通り喋って帰ってった。
真っ赤な口紅が印象的だった。

私はこの仕事を辞めるのか?
次は、どこへ行くと言うのだろう。
友人の紹介で始めた仕事であって、私にはもう学校から仕事の斡旋はない。

 

寮の事務、大学職員で年配のKさんが、
「図書館の子が来たみたいだけど、尚美ちゃんが続けたかったら、断っていいんだからね。辞めなくていいの!」と私に言った。Kさんの言葉はありがたかったけれど、図書館まで行ってあの彼女に、仕事の引き継ぎを断る気力が、私にはなかった。

 

やり場のない不安が、日に日につのっていく。
将来の夢もやりたいこともあった。でもその前に、私は生活費を稼がなければ。
MさんとRさんとの気まずさを抱えながら、日々は過ぎた。
寮生の「最近、保里嬢の様子が違う」という声が私の耳にも入る。

そうこうしているうちに、3月31日となり、17時、就業時間の終わりを迎えると、あの最初の4月1日のように、受付のある2階ロビーがまた寮生でいっぱいになった。
わらわらと集まりはじめた寮生に、何事かと思っていると、どうやら私の歓送会だった。新年度の寮長となった3年生のT君が「1年間ありがとうございます」の挨拶文を読むと、私は、大勢の寮生に囲まれながら、1年生から大きな花束をもらった。
私はお礼を行って、受付を後にした。

校門でタイムカードを押す。
もう明日から、私はここに来ないらしい。
私は、自分から受付のバイトを「辞めます」と、一言も言っていない。

私は、ところてんのように押し出され、次の仕事を見つけなければならなくなった。

 

 

私の学生寮での1年は、そんなふうに終わった。
それからしばらく、どうやって生きていたのか。
半年くらい、危うい生活が続いた。

そして今、こうして私は生きている。

 

何よりあのたった1年のバイトで、30年経った今でも、やりとりが続く寮生がいる。古くてあたたかな友人のように。

それが何よりの奇跡だと思う。

 

 

寮生が入れ替わり立ち替わりで、それぞれのおすすめ本を貸してくれたので、当時のベストセラーは、かなり読んだと思う。
村上春樹、村上龍、宮本輝、原田宗典。シドニー・シェルダン。
貸してくれた寮生の顔と名前だって覚えている。
ロシア語学科のMさんがくれたマトリョーシカは、今でも私の宝物だ。

 

真っ赤な口紅の彼女は、寮生の2年生と付き合ったと風の便りで聞いた。
私にも、そんなチャンスがあったかもしれない。
もしそんなことがあったら、寮生ひとりひとりとのやりとりを、こんなにも鮮明に覚えてはいないと思う。
あんな風にしかできなかった日々を、愛おしく思う。