HOLY'S BLOG

今日のニット 明日のニット

日曜編み物クラブ、昨日はお一人の参加でした。
「大丈夫か、編み物クラブ」と危惧する気持ちもない訳ではありませんが、
日差しが温かく気持ち良い午後でしたから、そんな心配もいつの間にか消えていました。
セールブー手袋の指を編むのは難しく、しかもオリジナルパターンを引いておられますから、彼女が頑張るしかありません。
もちろん私も、最善を尽くす気持ちで待機しています。
ただボーッと見つめていても仕方ないので、私は私の仕事をしていました。

毎日のニットと、彼女の今日のニットです。
手を掛けた物が使われてるのを見ると、胸の奥にまで陽が差したようなじーんと温かい感覚が広がりました。
天気のせいだけかもしれません。(笑)
彼女の編み物、確実に進展があり、セールブー手袋の編み方も身に付けられたら、一生物になると思えてなりません。
微力ながら、応援しています。
フレーフレー。
編み物の進みは遅々としてるので、「今日より明日」と自分に言い聞かせるしかないのかもしれません。
なので編み物クラブも、大きな声で「どうぞどうぞ!」と言えないのですが、
それでももちろん「やってみたい」方には、とことんご一緒しますよ。
編み物クラブ初級コースにてご案内致します。
宣伝してみました。^^

ボタン付け

仕上げ洗いも終わり、今日の天気に助けられた。
夜になり全ての用事を終え、机の前に座る。
いつも使う太めの縫い糸は、30番手のレザー用で、ひとつ付けてみたが、ボタン付けには気に入らない。
自分の道具入れから、ボタン付け糸の95番を手に取り、さらに母の糸箱を物色、94番を見つけるも、毛糸や裏ボタンに比べると若干色が明るい。
もっと濃いのはないかと再度探しに行くと、母の方から出してくれた。
145番、濃紺。
「よく覚えときんさい、145番。お母さん何回使ったか分からん」
はい、わかりました。
覚えてたら何かいいことありますか?
私、食いっぱぐれなくていられるのかな。
指抜きを嵌め、改めて仕事に取り掛かった。
しばらくメンズが続き、胸板や趣、仕立てのことばかり考えていた。
次は小鳥ちゃんのカーディガンだ。
帰って来い、私のガールズ。
かわいいのを作るのだ。

ボタンホール

カーディガンの仕上げ、ボタンホールを縢る。(かがるって、変換で「縢る」って出たよ)
パリで日本人唯一のテーラーのメゾンを持つ鈴木健次郎氏は、かつて本場フランスで腕を磨くために望むアトリエへ、自身の完璧なボタンホールステッチのサルプルを見せ、働かせてもらえるようになったという。

ニットにもそんなボタンホールがあるはずと針を運んでいると、
時計が12時を振れた瞬間に、母が部屋から飛び出してきた。
早くお昼が食べたくて、それでも12時になるまで我慢したのだという。
母さん、暇なのか。
仕事は自分で作るものよと、教えたのは誰だっけ。
「鍋を火にかければいいのか?」「ご飯はどこだ」と、容赦ない。
朝、仕掛けたスープは、鍋帽子の中で仕上がっているだろう。
「今、ボタンホールしてるんだけど」と言うと、「ごめんごめん」と誤った。
母が服を作る時、ボタンホールに取り掛かると、手が変わるのを嫌い、全てのホールを一気に仕上げた。
そのために子供の私は、母がボタンホールの糸を寄り始めると、ひっそりと息を潜めたものだ。
だから、母も私が怒る意味はよくわかっている。
時間を考えていなかった私が悪いのだ。
諦めて、お昼にした。
母が縢るボタンホールは美しく、私は家庭用ミシンにボタンホールステッチの機能があることなど、大人になって随分経ってから知った。
『大草原の小さなお家』のローラ・インガルス・ワイルダーは、洋裁の腕を買われ、14才からシャツの縫製で稼いだ。
1時間に、ボタンホールを60数個仕上げそうだ。
母に話すと、「そんなことはあり得ない」と一掃された。
「本当なら相当いい加減なホールのはず」とも。
ニットにおける完璧なボタンホールは、まだわからない。
ステッチの中に芯糸を挟む方べきか、あまり分厚くなってはいけないし、芯になる糸の重なりは作ってある。
今回のボタンはメタルでジャケット使用。
裏ボタンには、光沢のあるイタリアンレザーを使う。
ネームは付けた。
ボタンは明日、仕上げ洗いを終えてから。

11月某日

電車で少し遠出する。
車内でふと指先を見ると、ささくれだっていた。
家を出る前に、パチンパチンと爪だけは切った。
ヤスリをかける時間はなく。
爪くらい磨きたいと、もう夏から秋も終わろうとしている。
11月某日
母がお世話になっている内科の先生から母へ、ウールパンツのお直しがあるとのこと。
ボタンの卸屋さんに注文に行く帰りに医院に立ち寄る。
通りの裏側に公園があり、土手へと続いていた。
街中なのに人気がなく、しんとしている。



ウッディ・アレン映画で観たのはニューヨークの景色だったかと思い出そうとしても、オシャレっぽいことはいつだって言えないのだ。
今度はお弁当を持って来なくちゃと思う。
その時は、母を一人でうちに残しておくのだろうか。
母となら歩きで30分かかる。
一人で残すのか、二人で来るのか。
そんなことを考えながら、落ち葉の上に寝っ転がると、しばらく眠っていた。


郊外の住宅団地に住む頃は、時々天気のいい日に郵便局へ行く途中、道に転がった。
整備の行き届いた歩道に、人は歩いていない。
寝転ぶと空はぐんと広くなり、背中にアスファルトの温みを感じた。
そんなことで、日々をなんとかやり過ごしていたように思う。
こっちに越してから、道には寝転がれない。人通りは常にあるし、街には昼間、自転車に乗るおじさんがいる。
住宅地には昼間、自転車に乗るおじさんはいなかった。
11月某日
ウールパンツのお直しを届けに医院へ。
母は、昨日午後から仕事にかかり、さっさと仕上げてしまった。本人は気に入らないらしい。
それでも上がったものがうちにあると、いつまでも気にするので、お使いは他にもあり雨の中、カッパと長靴で出掛けた。

生憎、今日は公園に座れない。

公園は、細長く川下へと続いていた。

10月桜って言うんだっけ。


赤い実を口に入れてみる。
お腹が痛くなりやしないかとやっぱり吐き出した。
充電したはずの携帯の電源が、プチンと落ちた。
11月末仕上げの仕事に目処がついた。
もう一件の用事を終え、真っ直ぐうちに帰る。
歩数計は、9968歩だった。

11月某日
昨日のイタチくんが忘れられない。


自分をより客観的に見られる人は、人に対して優し過ぎる傾向にあるのかもしれない。
自分の心は無意識に押し込めて。
左右の爪の長さが違っていた。
右手は、先日切ったままの長さで、左手は白い爪が伸びている。その差は2mm。
職業的なものか。母も左右の爪の伸び方は違うと言ってたことがある。3日でこんなにも。
どこまで差がつくものが見てみたいけど、左手キャンペーンとして切った。
仕事は編み上がり、あとはひたすら糸始末だ。

今夜もよい眠りをと

ゴフスタインの新作が、友人より届いた。
ねむたがりかぞくは、わたしのへやばきにもすんでいるのかもしれないそうで。


私の部屋ばきは、えらくくたびれているのに、自分で作ったものだからツギを当てては繕ってしまう。
だからいつまでも履いている。
そんなことを言われたら、さらに変えるに変えられないじゃないか。

ゴフスタインの本の見開きには、必ず「・・・へ」と前付けが入っており、
この「ねむたいひとたち」の前付けは、「母と父へ」となっている。
離れがたいものが誰にでもあって、
年を重ねれば重ねるほど、それらのものは、自分に語りかけてくるようになるんだって。
それはまるで小さく宿る零れ種の枝木のように、頼りなく、実はそこここに佇んで、
ふと見る者の胸に火を灯してくれるのだろう。

拝啓、ゴフスタインさま
今日もあなたの本を両手で抱えています。

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