手袋のお直しを
長くHOLY’S手袋をお使いくださってるお客さまの、指先の綻びのお直ししました☺︎
指先三角のセールブー手袋は、穴のあいた中指は指先を編み直し、
緑のBAA BAA BAA手袋の編み地の薄くなった箇所には、それぞれ糸を足して補強しました。
どちらも10年選手、とっても大切に使ってくださってる。
こんな手袋との再会は、お客さまとの日々と、小さく繋がりを感じられてうれしい。
この手袋をはめてくださってるシーンが目に浮かぶよう。
本当に長く使っていただいて、ありがとうございます!
2枚目、3枚目は、仕上がり当時の写真(2枚目、正しくは、彼女の手袋は、これより前に編んだもの)
何年かおきに、お会いしてる長野のお客さまです。
写真撮影場所 @na_na_bunsitu
2.3枚目 photo: @kuramapod
安野光雅さんが亡くなった
これは、私が保育園の頃、園から購読希望があったのだろう。母が頼んでくれた月刊絵本〈こどものとも〉の10月号、安野光雅さくえ『もりのえほん』。
安野光雅さんが昨年12月24日に亡くなっておられた。今頃、発表なさるところ「らしいな」と思てえならない。
子供の頃から私のスーパーヒーローだった。絵も文も素晴らしく、大人になればなるほど、『空想工房』を始め、文筆家としての安野さんにどんどん惹かれていった。
NHK FM『日曜喫茶室』では、絵とは違い、その生活は割と俗っぽく、「コンビニでお節を間に合わせた」なんて、相対してこまでも洒落た池内紀さんとのやり取りには、いつも笑わせていただきました。
昨年は、念願の安野光雅美術館へ、津和野に訪れた。何時間でも浸っていたかったし、安野さんの思い出の中を覗いた気がした。
電車が走ったって、私には安野さんが見ておられたSLに見えた。
たくさんのたくさんの絵本とエッセイを、ありがとうございます。これからもいつもそばにいてください。
ミンスパイ
「ミンスパイ食べる?」
ミンス、ミンス、
聞いたことあるよ?何だっけ?
『農場の少年』
大草原の小さな家シリーズ、アルマンゾの少年時代のお話だ。
私のアメリカ史と移民文化の知識は、ほぼこのシリーズで、学んだもの。
クリスマスのご馳走の中に「ミンスパイ」なるものが、並んでいたと記憶する。
その人は珍しく力説する。
「本当は、温め直してアイスクリームを添えて食べるとめちゃおいしい」
「アイスクリームは、『レディボーデン』ってことになるけど、『スーパーカップ』のあっさりも程よくおいしい」
「ミンスパイ」
イギリスのクリスマスの伝統お菓子。
パイといっても、バターを切り込むパイ生地ではなく、タルト生地ほど甘くリッチでもない。あっさりめクッキー生地が「ミンス」と呼ばれるフィリングにぴったりなの。
ミンスはねぇ、ドライフルーツやナッツ、りんごやみかんを刻んだのに(本当は、ラードを加える→ミンス)バターと香辛料を加え混ぜ合わせたもの。
本日夕方、うやうやしく温め直し、スーパーカップとレディボーデンの間を取って、程よい量の「MOW」にしました☺︎
おいしいなぁ。これは作ってみたい。
ちょうど良いタルト型あるよ?
2021.1.6
私の働くセーター
@jamiesonsofshetland col.114(Mooskit/White)
今日は、アイボリーのコーデュロイと合わせてみました。
白っぽくなり過ぎると思われ、今までやってなかったのですが、やってみると、ミックスベージュが濃く見えて、パンツの白さが際立ちます。
今日は、年明け最初のHOLY’S編み物クラブでした。
クラブの中でも「働くセーター」を編まれる方が多く、間近でいろんな働くセーターに出会えるのは、とってもうれしく、楽しいです。
「働くセーター」がたくさんの方に編まれていて、本当にうれしいです。
私の仕事着が、こんなにもみなさんの仕事着にもなり得るとは、思いもしませんでした。
仕事着とは、日々の糧を得るための服です。
何より、今までお世話になってきた方々や、友人達が喜んでくれていることに、戸惑いを覚えるほど、驚いています。
誰も見ていなかったから、少し泣きます。うれしくて。
私が長年、ルームシューズの材料など、仕入れで通っている、革専門店のおばちゃん(本当は先生です)が、本が出来て持って行った時、こう話しくださったんです。
「私たちは、直接なおみちゃんに『おめでとう』って言えるけど、直接言えない人がたくさんいるのよ」と。
その意味が、日々追うごとに、ひしひしと私の体に染み入っています。
それは、遠くに逝ってしまったのに、目を閉じれば、いつも笑顔が思い浮かぶ友人のようです。どんどん鮮明になってくるのです。
働くセーターまでの道程
さて、頭に思い浮かぶ強い気持ちについて書こうと思う。こんな夜中に上手く書けるか、どうだろ。
ラジオの特番でスガシカオさんが名曲「progress」の歌詞についてお話していた。多くの人に感動と勇気を与えるなんて、これっぽっちも思ってなかったと。もしそのつもりなら「僕らは位置について」と、かけっこのスタートという小さなシチュエーションからなんて始めない。壮大な曲にするつもりなら、それなりの始まりというものがあるはずで、ということを話されていた。
手を動かしながら、ふと思い出したことがことがある。
「働くセーター」という名前がすごく良いと、何人もの人に褒めていただき、その訳を聞かれる度に「深い意味はなくて、名前を聞かれて初めて口にした」となんとも手応えのない答えばかり口にしていた。
けど思い出したんだ。
もう12年くらいか前になるだろう。ある方の紹介で、他県の有名なギャラリーのオーナーご夫妻とお会いしたことがあった。
若い作家として紹介してくださったのだろう。
作品を見ていただき、話を進めているうちに、私はギャラリー奥様から「デザインセーターを作りなさい」と言われたのだった。
編み機を使い、いろんな毛糸を使って。
私は何か違うと感じながら上手く答えられないでいたのだけど、その場に居合せておられた方に導かれ、自分のある確信にたどり着いたんだ。「私は労働着、仕事をするためのセーターしか作りたくない」と言うことに。
シェットランドヤーンの可能性も感じている、とも答えた。当時すでにシェットランドヤーンを引き揃えて編む手袋やルームシューズを作っていた。毛玉になりなくく、引き揃えるとまた違った魅力を見せるこの糸以外考えられなかった。
デザインセーターだけは作りたくないと言う思いから、気付かされたその思いは確固たるものとなった。
フェアアイルやアランセーターなど作り続けたが、どれも形はベーシックで長く着られる形ばかり。立体感にこだわった。
私は、社会福祉専門学校と言う実に地味な学校を卒業した。私が在席した保母科のクラスメイトの就職先がいわゆる「保育士」にとどまらず、肢体不自由児施設や作業所に就職する人、児童館、公立保育所に勤める人、児童養護施設とさまざまで、さらに福祉科となると老人ホームとなるのだった。
そして私の卒論は、「教護院(非行少年の矯正施設)」についてだった。私が非行少年だったかというと、所在の無さは紙一重でレイヤーだった。
友人と話したことがある。
要は「何にシンパシーを感じるか」なのだ。
体に不自由のある人にシンパシーを感じる人は、その専門施設に保母として就職するし、家庭がいわゆる普通ではなく、マイノリティとして育った友人は、児童養護施設に長く勤めている。自分が何に身を捧げられるかは、自分にとってのシンパシーの感じ所なのだと。
ギターの音色に魅せられ一体となってしまった人がギターリストになるのと同じで、恋に落ちるのも、相手の何かに共鳴してしまったから。
私がデザイナーなら、ドレスだって作るのだろう。作らないと言うことは、私がデザイナーより作り手であるからだ。
一昨年末の「ゴフスタインと私」展をリーダンティートで行わせていただいたのだって、本屋のあるギャラリーというだけでなく、民藝の器を扱っておられたことが、私にとって大きい。
編み物が、工芸、craftにカテゴライズされないのは、ヨーロッパにおいて「女子供の「手慰み仕事」としてみなされたからだ。工芸は、ある程度の量産を目的としている。
しかし、アラン島やサンカ手袋のサンカ地方は、もうそれしか生きる術がなかったから、編み物に商業を見出したのだ。
私も同じだった。体を壊し、うちに帰らざるをえなくなり、始めた編み物は、半径30cm有れば事足りて、道具だって数千円有れば揃うってもの。だからこそ続けられたのだ。
着るものを作ってるってのに、裁ち鋏すらいらない。その小ささは、私にできる精一杯のことだった。体を壊したって、食わなければならないことに変わりはなかった。
それから、そんなギャラリーオーナーとの一件も経て、何度かの展示会、そして働くセーターへと。量産できない量は本となって、働く人々へ、身近な方々が編む。
海の男のガンジーセーターと一緒じゃないか。
私は洋服が三度の飯より好きだけど、着飾ることに興味はない。働くことにシンパシーを感じる。だから、労働に耐えうるセーターを作る。







