寒がりやの働くセーター
京都でオーダーいただいた働くセーターは、サイズ5のHighland Mist。
「リプを長めに」のリクエストにメンズサイズにレディス使用のリブの長さでお作りしました。
デザイン的に女性ぽくなるかというと、そんなことはなく、メリハリが付くので「大きいセーター」の印象はガラリと変わります。
袖は両端6段に一目減を12回繰り返し、リブに変わるところで4目を分散減目し52目に整えます。
あとは二目ゴム編みを48段編みます。裾は、60段編んで二目ゴム編み。
腰の位置が上がるので、バランスもいいと思う。
@washizu_m さん、ご自分で編まれたネックウォーマーを合わされておられます。
タートルネックとクルーネックセーターと、別々に編むのも良いですね。寒がり万歳。
懐かしい手袋
懐かしい手袋が届く。
17〜8年くらい前になるだろうか。
長野でお作りした手袋は、その後、大阪へと移り、大阪よりこの手袋は届いた。
昨年、久々にお会いした彼女の手を、私は覚えている。細くて、指がすっとしていて、小さな字を書く誠実な手。
その人の手で、この手袋も大切に使われてきたことがよくわかる。
お直し部分は、いくつかある。それでも彼女が誠実だと思えるのは、綻びがどれも致命的に大きくなっていないこと。
「あぶないな」と思われた時点で、きちんと補完され、私の元に届けられた。
時間はかかるけど、きっと直してまた使っていただきますね。
ちょっとオーバー気味になった私の仕事に、こうしてちゃんと振り返ることを教えてくれる。
お互い年を重ねてお会いした彼女は、すてきだった。
京都は船岡山の公園が、またひとつ、私の大切な場所になる。
1月16日
今日こそ編み終わろうと、サイズ5のセーターを編み終わった。遅すぎる。忙しすぎた。
昨日まで、編み方リーフレットのことで走り回っていたので、編み終わるまでは気が張っていたが、なんだか急にポカンとする。
次のベストに取り掛かる。
年末、いやずっと慌ただしくて、この編む、作る日々の通常営業から遠のいていた気がする。
心が騒つく。多分、インプットが必要なのだ。もしくは旅。
HPにセーターオーダー依頼をいただき、今、お受けできない旨を伝える。信頼する編み手ではどうかと提案してみたが、私にとのこと。嬉しくも、いつかがいつ来るのか、オーダー会でしかお受けできない。いつになるかわからない約束をするのは胸が痛む。
編み方リーフレットの波は、少し収まったのか。うれしい悲鳴の売れ行きだ。落ち着くとまたそれはそれで困る。
ブルーグレーのマニュキュアを、このセーターを編んでいるうちに付けてみたいと塗ってみた。編みたい気持ちが勝って、親指だけで終わる。乾くのさえ待てない。
今日は、珍しく12時台に眠ることにする。
明日の朝日を見ることを楽しみにして。
七草もこえた筑前煮
年明けの展示に友達が訪ねてくれて、彼女の職場に出入りのある無農薬野菜を手土産にくれた。
今頃、筑前煮のようなものを炊いている。
「ようなもの」とは、干し椎茸も牛蒡も入っていないから。
鶏肉、里芋、金時人参。
それで立派な筑前煮だ、うちでは。こんにゃくだって入れたんだ。
母と二人暮らしとなり、母はこちらの予想以上に食べられなくなった。
とにかく小さくおかずを作る。
毎年、年越しに届いていた伯母からの野菜も、今年は届かなかった。
行き来の少ない我が親戚の最後の砦もなくなった。
こちらから連絡できるほどの余裕がない。
里芋がなければ筑前煮も作らない。
そんな季節感のなさだけが残り、いつも以上に慌ただしい年越しとなった。
母を思えば不憫になるけれど、それもこちらの思い過ごしかもしれない。いくらも食べられない母に、その瞬間、瞬間の心地よさがあれば、それ以上でもそれ以下でもなく、孤独さえ感じでいなければ、母の長かった人生も、報われるのかもしれない。
そんなことを思って、私は筑前煮を煮ながら、この煮物に慰められている。
かさねる冬の足元と
READAN DEATで過ごした3日間のどの時間も、すてきだった。
いそいそと食べるコンビニの肉まんも美味しかったし、ブリトーだってはじめて食べた。
お客さんがいらっしゃる時間も、いらっしゃらなくて編んでた時間も、初めて会った方とお話しする時間も、全部だ。
私にとって、本に囲まれ、人に会うのが、一番チューニングが合うのかもしれない。
テーブルを挟み、真向かいに座るのでもなく。
懐かしい友達の顔が見れれば尚更。何も話さなくていいし、話しても良い。
店主がふと指を伸ばした先を私も見る。背表紙をなぞる。
指先が動く先を私も追う。追ってもいいと許される。
十二分なやりとり。
そんな日の冬の足元です。
@readan_deat