Tさんのこと(私が学生寮で学んだことvol.7)
原田宗典の小説以来、言葉を交わすようになったTさんは、私とのどんな小さなやりとりも取りこぼさない人だった。
新入寮生歓迎会で、Tさんは誰かの伴奏でアコースティックギターを弾いた。それはとっても上手で、親指まできれいに使ってコードを爪弾いた。
私には、なぜ彼がこんなにギターが弾けるに、プロになろうとしないのか不思議だった。
Tさんに、どんな音楽を聴いているのか尋ねると、次の日、Tさんはメタルの80分テープにみっちりと「Tの好きな音楽」を入れて私にくれた。リバースして聴いても、シーンとする間がいくらもない。私はそのテープを伸びるほど聴いたし、彼がテープと一緒にくれたワープロ打ちの3枚のレポートは、今も持っている。
バンド名とその説明が上から下まで半角文字で2枚に渡り(それはA to Zの並びになっていた)、もう1枚には、カセットテープに入れた曲名とバンド名のライナーノーツが書かれていた。
彼が自分の好きな音について適切、かつポップな文体で、好きなバンドについては「好き具合」まで伝わってくるボキャボラリーに驚いた。
今ならわかる。彼がそんなカセットテープとライナーノーツを作り慣れていたことが。なぜなら今でも、Tさんは自作のリミックスデータを、私に送ってくれるからだ。
Tさんとの話ならいくらでもある。
私が学生寮バイトと掛け持ちで、夕方から大学の目の前の洋風居酒屋でバイトを始めると、Tさんは同じ学科の女の子と飲みに来てくれた。Tさんの友達の彼女のことは、今もよく覚えている。
ブルーのオーバーオールに袖なしTシャツを合わせていて、髪はショートカット。私にもニコニコと挨拶をしてくれた。
その店では「ビール飲み放題」をやっていて、ビール好きの二人はいくつものジョッキを開けた。レジ前で、気持ち良さそうなTさんにどれほど酔っているか「スキップしてみて」と私が言うと、背筋を伸ばし、向こうからこっちへと、Tさんは正しくスキップを見せてくれた。
ある日、Tさんがすごく大好きになって買ったTシャツの着丈を直してほしいと私に言った。
裾を5cmほど切って、三つ折りにして纏ればいい。
簡単に引き受けたものの、Tシャツ生地を寄れないように三つ折りし、アイロンをかけて纏るのはなかなか難しく、次の日、いくらも寝ていないことは隠し、私は何気ない風で、TさんにTシャツを渡した。
私は、母が洋裁を生業にしていたので、きれいな三つ折りがどういうものかわかる。自分の不出来に気付くので、何度もやり直したのだ。
ちょうど通りがかった寮内の掃除を任されている「おかあさん」(みんなにそう呼ばれていた)に、Tさんが私の纏りを見せた。「おかあさん」は、ちょっと上から「あら、上手ねぇ」と褒めてくれた。
「おかあさん」は、みんなに当てにされていたから、若い私がうまくやったことがおもしろくなかったんだろう。いつかそのことを母に話すと、母はそんな風に言った。
次の日は寮祭だった。
3年生の寮長に「友達と一緒に遊びに来てください」と言われた私は、ひとりで参加した。同じ大学の女子寮の女の子たちが招待されて、立食パーティーからはじまったと思う。
Tさんは、食堂で開かれたダンスパーティのDJで、ちょっと高い場所からレコードを回した。
Tさんは、私が直したTシャツを着ていた。ユラユラと揺れる大きめのTシャツのTさんとちょっと目が合って、私もいつまでも踊っていたと思う。
私は軍パンからリメークされた黒いスカートと、Dr.マーチンのブーツを履いていた。
Tさんからもらったカセットテープの中から、自分でCDを買ったマシュー・スウィート。
「腰にくるっての⁉︎」
「一緒に歌える泣きのギター」
ライナーノーツに書かれた言葉が今でも、 Tさんの声で聴こえてきそう。