原田宗典の小説と(私が学生寮で‥.vol.3)
私が受付で、原田宗典さんの文庫「十九、二十」を読んでいると、文学部三年生のTさんがその窓から頭をひょいっと入れて覗き込んだ。
「何読んでるんですか?」
私が、原田宗典、と答えると、
「原田宗典は、僕も好きです」と言った。
私は、その小説の表紙からヤラレていて、胸につきそうなほど背中を丸め俯き歩く青年の絵に、自分を見るような思いがしていた。私もついこの前まで二十だったし、その時、二十一になったばかりだった。
Tさんは、原田宗典の本なら全て持っているから貸せるという。私は貸してほしいと頼んだ。まさかこの寮で、原田宗典で話ができると思わなかった。
「しょうがない人」は「十九、二十」と同じ装丁家で司修さんの仕事だった。その時、私は装丁家という仕事を知ったし、それほど司さんの絵にはインパクトがあった。
自伝的小説という色を残しながら「スメる男」ではファンタジー要素が加わり、冴えない男を描かせたら、当時、原田宗典の右に出る作家はいなかっただろう。エッセイは電車で読むのが危険なほど、おもしろかった。
Tさんが一番好きだと言う「黄色のドゥカと彼女の手」は、バイクをめぐる短編集で、表題作は、カワサキの中型バイクに乗る主人公の青年が、手タレを職業とする恋人に振られ、次に彼女を見かけたのは、黄色いイタリア産のバイク、ドゥカティーの後ろに乗ってる姿だった、という話。彼女がいつもはめてるはずの手袋を外し、運転する男の腰に手を回している時だった。
その短編集は、イラストレーター沢田としきさんとの合作で、絵と文章の相性がすばらしかった。
のちに私は編み物が仕事になって、沢田としきさんと出会っている。
原田宗典さんは、当時『東京壱組』という劇団の劇作家もやっており、私は下北沢の本多劇場へ、舞台も観に行くことになる。余貴美子さんがメインキャストだった。
Tさんから、一人の作家を通して、こんなにも自分の生活に彩りが加わるとは。
Tさんには、聴く音楽についても大いに影響を受ける。その話は、また今度しよう。