オーダーベスト
もうひとつの20年越し
なぜその本のことを思い出したのか。
「それはあなたの都合でしょ」
ある自立支援所の先生の言葉が、今も私の胸に響いている。
夜学生の頃、見学を申し込んだにも関わらず、初めて行く駅での待ち合わせに、遅れてしまい、
「すみません、仕事で遅れました」
と、言い訳をした私に、迎えに来てくださった先生が、言われたのだ。
私はそれまで「仕事が」と言えば、単純に許されると思っていたのだ。
どんな理由であれ、遅れたのは私の勝手であることを、少年っぽさを残したその先生は、一言で諭されたのだった。
「僕らはそういうことを、教えているんだ」
私は恥ずかしくなり、見学した内容は、何も覚えてないし、二度とその場所を訪れることはかった。
人との関わり合いの中、自分の思いを通そうとしてしまいそうな時、その先生の言葉をいつも思い出す。
私が世の中で学んだこと、
この本のタイトルをもじって、事あるごとに自分を問うている気がする。
著者の鎌田慧氏が、高度経済成長の影で、機械工、鉄鋼所、製鉄所、トヨタ自動車の季節労働など、自らその場所へ入り、契約をして労働者として体感したルポルタージュである。
彼自身、学校を卒業して、ライターになるまで、町工場の見習い工から肉体労働で生きてきた人である。
この本と出会った頃、私は二十歳で、
クラスメートには、社会人を何年も経験した自分より年上の人がかなりいて、
中には、その学校に入学するために、この本に出てくるような、自動車工業の期間労働でお金を稼ぎ、田舎から出てきた人が、実は何人かいた。
そんな人達と、この本を回し読みした。
私が貸した本が、彼らのジーンズのポケットに入っていたりした。
そして私はこの本を、自分の勝手な思い入れにより、年下の友人にあげてしまった。
この本のことが、どうしても気になり、この度、図書館で借りたのだ。
20年越しの「僕が世の中に学んだこと」
「蟹工船」や「苦役列車」に並ぶ過酷な労働環境に、今回、読み進めるのが辛くなるほどだった。
二十歳の私に、一体何がわかったのだろうか。
だけど、私は自覚する。
口の中が塩っぱくなる。
『僕が世の中に学んだこと』
あとがきは亡き灰谷健次郎氏、装画は沢野ひとし氏だった。
偶然にも、私があの当時から、何人かの、「この大人の人が言うことは、信頼する」と思っていた中のお二人だ。
今も導かれています。
20年越しのスピッツ
5月の初めに、昨年の公演延期となったスピッツのライブへ行った。
初ライブだった。
始めてスピッツを聴いて、当時勤め先の近所であった四谷三丁目、老舗CD店「好音堂」(のち、「空耳アワー♪」でネタにされる店、お気に入りの場所だった)
にて、アルバム「ハチミツ」をあの頃には珍しく衝動買いして、
あれから20年だ。
あの頃は、東京一人暮らしで、生活に余裕なく、ライブへはいつか行けたらと思っていた。
広島に帰って来てからは、すでにスピッツライブは、チケット購入が難しくなっていたし、私自身が、違う意味で、余裕を失っていた。
今回は、知り合いの方がスピッツのファンクラブに入っておられて、一緒に連れてってもらった、という訳だ。
さて、20年越しのスピッツは、、、
瑞々しかった!
ロビンソンのイントロが流れてきた時はクラクラしたし、全く当初の歌い回しと変わらずに淡々と歌うマサムネさんを、拝みたいような気持ちにさえ、なった。
歌い手はこうあって欲しい。
途中持ち替えたギターが、あの当時、私がなけなしの貯金で買ったアコースティックギターと似ていて、涙がぼたぼたと出た。
そのギターは、今の仕事で独立する時、身の回りを最小限にしなければと、手放したのだった。その時のことを思いだしていた。
勝手な感傷まで引き出されたスピッツのライブ、本当に良かった。
ファンの方々もかわいらしい女子が多く、年齢層の幅も広い。
男子も多い、柔らかい雰囲気の。
おかげさまで、ほぼ、全ての曲を一緒に歌えたし、
20年前の気持ちと、今に続く自分の道程を行ったり来たり、させてもらった。
感情までも、全くあの時のままに思い出せる、20年経っていても。
年を重ねるとは、こういうプレゼントが、思いがけないところでもらえるものなのだと、初めて知ったような気がする。
渋谷系とはほど遠く、御使い先の新宿区
内をぐるぐる回る日々だった。
江田島~!
行って来ました、江田島☆
19日土曜日、晴れです。
宇品からフェリーで上陸後、まずは切串港売店の2階、「カフェおくの」にて、腹ごしらえ♪
パンランチ。江田島の友人が頼んだなが、こちら。
日替わり定食。市内から参加の私達ががっつり食べたいと頼んだのがこちらです。
おかずがのっている器の焼き物も、この店の主人奥野さんが手掛けられています。
パンも、自家製天然酵母パン、しっとりモチモチです。
定食のいろんなおかずも全部おいしいのです。
緑眩しい島のドライブののち、海友舎到着です。
市内から参加チームは、まず建物見学しました。
さて、ぐるぐる海友舎プロジェクトkaiyousya.com
の、
ぐるぐるP手芸部に、出張編み物クラブの始まりです。
編み物自体初めての方もいらっしゃいましたけど、皆さん、最後まで頑張られました。
こちらは、上級者のワークショップ、フェアアイル編みのピンクッションです。
おやつ時間は、海友舎プロジェクトの方々と一緒に、テーブルを囲みます。
手芸部部長Oさんお母様お手製のしっとり爽やかな甘夏ジャムのシフォンケーキ、また友人がコーヒーメーカー持参で頂いたコーヒーの、おいしかったこと!
ぐるぐるP手芸部は、毎月第3土曜日の午後に、ここ海友舎にて、物作りならなんでもオッケーで、参加できる部活動です。
なので、部員の方々の普段作られている、例えばタティングレースや、アクセサリー作りの話など、聞かせて頂きました。市内チームも、手作り熱を煽られます。
また、毎月第一日曜行われる海友舎清掃活動で、この建物も歴史も保たれています。
5月24日25日には、「ぐるぐるしましまあるある」なるイベントがあるそうです。
帰り道、アタッシュケースをまっすぐに持ち、眩しく白い詰襟制服の青年とすれ違いました。
うっすらと笑顔を浮かべて、会釈をしてくださいました。
襟足もスッキリと、今時滅多に見ることない清々しさに、一瞬時代がわからなくなるほどです。
彼がどんな思いで、自衛隊を目指されたのか、尋ねてみたくなりました。
そして、自分がいかに近代日本史を学んでないか、否が応でも自覚させられます。
1888年に、海軍兵学校が築地から江田島へ移転した際、江田島の人々が、受け入れ、その後も、自分達の島で、自衛隊の新星達を育てているという自負を持ち続けておられらとのこと。
通りのあちこちに、厳しい訓練の中、休日を寛ぐための「下宿あります」の看板が見受けられます。
さりげない横の繋がりに、つかの間、その輪の中に入れて頂いたような一日でした。