母作のブラウス
母が縫ってくれたブラウスを着ています。
母を3年前に見送りましたが、母作のブラウスは、健在です。
子供の頃から、母の作った服やカバン、帽子を身に付け、カーテンからシーツまで、家中全ての布物は、母が手掛けたものでした。
私の母は、婦人服の仕立てをしていたので、ミシン仕事はなんでもやりました。
小学生の頃、私は、首の後ろにタグの付いた服に憧れもしました。
私が冬場に学校に持参する座布団も母は、作りました。
小学1年の初冬、朝起きると、私の目の前に今まで作ってるところすら見たことのない座布団がいつの間にか仕上がっていました。
きっと使ってない座布団の綿をカットするところからです。
座面には、ボンネット・スー風のアップリケと刺繍を施した女の子の後ろ姿があって、座布団の4角と真ん中に、綿がずれないための糸どめが付いています。
クラスのみんなは、洋品店で売ってる四角い角のたったポリエステルスポンジが入った、座面にはキャラクターがプリントされた座布団で、そのピシっとした形が羨ましかったけれど、私は母の作ってくれた座布団を使い続けました。
上履き入れにも、刺繍とアップリケで、野ネズミの女の子がスカートを履いて花畑の真ん中に佇んでいました。
母がそんなパターンをどこで仕入れていたのか、絵本を見て模倣してくれたのかもしれません。今思えば、ビアトリクス・ポターのネズミのお話の絵にそっくりです。
制服のような既製品のジャージの白いブラウスもありましたが、胸ポケットには、うさぎの女の子の刺繍が入っていました。
私が母作のジャンパースカートやワンピースを着ていると、友達のお母さんがどうやって縫っているのか「見させて」と言って裾をひっくり返すこともしばしばでした。
そんなことをツラツラと思い出すと、母はあまり多くを語る人ではなかったし、甘やかされることもなかったのですが、愛情をたくさん与えてくれていたんだなと思います。
何より母自身が嬉々として作っていたんだと思います。
大人になってからも、母はずっと私の服を作ってくれて、編み物が生業になってからも、少ない収入で新しい服が買えない代わりに、せっせと必要なものを作ってくれました。
母が作ってくれたブラウスは、何枚もあったけれど、もういよいよ生地も薄くなって襟もよれてきた数枚を、先日、ボタンを外して手放しました。
あんなに手放せなかったヨレヨレブラウスを、母が亡くなって3年経って、やっと、です。
でも大丈夫なんです。
母の手掛けてくれたものは、まだまだあります。
私はあの親に育てられたんだと思うと、仕事にも熱が入ります。
最近はじめたInstagramの新しいアカウント「今日は何着る」でも、この先も登場します。
@naomiholysでやってます。よかったら見てみてもらえるとうれしいです。