HOLY'S BLOG

「工藝という名の手袋」展終わりました

 

私から、見に来てくださったみなさまに感謝の言葉と、今回の展示の総括を書くはずが、READAN DEATの清政さんが、すべてを書いてくれました。

私はというと今日、会期中に頂いたお花を持って、彼岸も年末年始もほっぽり投げてた墓参りに行って来ました。ここまでが自分の中の一区切りでした。

長く風呂に浸かりボーっとした頭でiPhoneを開くと、自分がタグ付けされた記事があり、読んで泣きました。泣きました、と書くのは恥ずかしいことですが、落ち着いて、もう一度読み直しても、やはり泣きました。

墓参りに行ったことも、清政さんの記事を読んで泣いてしまったことも、個人的なことで、書くつもりなかったけれど、正直に書くしかないから書いています。

「工藝という名の手袋」は、長年あたためてきた企画ですが、まだ生まれたばかりの、私にとっての課題です。

また違う街で、この製作展示をしたいと考えています。
その時には、もっとうまくなっていたい。
今回オーダーいただいた中でも、新しい物ができそうです。それはまた、みなさんに見ていただきます。

この企画は、READAN DEAT だったからこそ実現しました。
私の仕事をしっかり見続けてくれる人がいる場所だからこそ。
もしかしたら、世間の大波に出たら、飲み込まれるかもしれません。
飲み込まれてもいいから試したい。
大きく背中を押してもらいました。

足を運んでくださったみなさま、深く深く感謝いたします。本当にありがとうございます。

そして、仕事仲間という身内ごとではありますが、清政さん、ありがとう。

#Repost @readan_deat with @use.repost
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HOLY’S 保里尚美「工藝という名の手袋」展、昨日終了しました。会期初日は、駒木根圭子さんとのトーク、2日目は編み込み模様のワークショップも開催し、全日在廊してくれた保里さん。年末の代官山と広島の蔦屋書店から続いた展示も無事に完走してくれました。

今回の個展タイトルに冠した「工藝」について、初日のトークのなかでこんな場面がありました。

「あえて工藝と名乗らなくても、保里さんが作る物はすでに工藝だと思っていました」

保里さんの作品はすでに工藝と呼べるものであり、使う人への細やかな配慮も込められた、民藝の精神が宿っていると、駒木根さんは感じていました。その一方で、これは民藝だ、あれは民藝じゃないというような、以前から言葉で括ることに違和感があったため、「見ている人はちゃんと見ているから、言葉で括る必要はないよ」と。

駒木根さんの眼差しに感謝しつつ、保里さんは

「世間一般から見たときに編み物は手芸で、値段をつけにくい。だからこそこのタイトルにしたところもあります」

この言葉は、若い頃に体調を崩し、「編み物」を生業として選ばざるをえなかった保里さんの、長年歩んできた道の険しさとプロとしての自負を感じさせるものでしたが、工藝に託した想いはそれだけではありませんでした。

「編み物の技術者としてどこまで技術を突き詰めることができるか試したかった」

『働くセーター』から始まった本づくりは、できるだけ沢山の人に編んでもらうことが大前提。作りやすさと分かりやすさを重視した作品が掲載されていますが、今回の個展は技術者としての現在地を示すものでもありました。「まだまだ上達したい」という保里さんの、背中を押す工藝という言葉。それは、新たなステージで編み物へ取り組む、決意表明でもあったと感じました。

お買い上げいただいた方には紐をご用意してお届けします。オーダーいただいた方も楽しみにお待ちください。

#保里尚美
#工藝という名の手袋