朝とルームシューズ
母を見送り、部屋を振り返ると、自分のルームシューズがあちこちに散らばっている。
なぜいくつもあるのかというと、作業用に重ねばきした分厚めのソックスとそれに合う大きめのルームシューズと、薄手ソックスのみの時のルームシューズと二足あり、厚手のソックスと二足のルームシューズが履き散らかした状態にあるから。
昨夜、作業を終えとにかく寝ると片付けもままならぬままの机の周りと、母の枕元にもう一足、脱いている。
母をディに送る前、車椅子に乗せるまでが、とにかく頭脳戦のようでもあり、互いの動ける範囲で、いかに効率よく着替えさせ、無理にでも布団から高さのある車椅子に乗せる。
乗せたらこっちのもので、歯磨き、顔を拭く、を終えられる。
ここまで来ると、私もいよいよ介護生活ですと、言えるのか。今まではばかれていた心のストッパーはやっと外された。
今日は、一際苦戦したが、それは起き上がることすら気乗りしない母をなんとかなだめすかし、母の背中から支えるようにして、着替えさせるという新しい姿勢に持ち込めたので、なんとかお迎えの時間に滑り込むことができた。
互いに軽く息切れする。
母を乗せた車を見送り、部屋に戻って、家事のあれこれをしなければならないのに、その前に自分のしたかったことの方を選んだのは、私が段取りを考えるのを無意識に放棄していたから。1時間半ほど、昨夜の作業で断念した二目ゴム編みどめを終え、その今編んでるセーターの袖を写真に撮り、Googleに上がってきた懐かしい写真をめずらしくインスタにあげる。
それは、一昨年亡くなった友達の写真だった。かわいらしい足元を撮らせてもらった。
私が作ったレッグウォーマーをつけて。
こんな生活もこの1時間の自堕落とも思える家事を放棄した時間も、許されたような気がした。
この日記のタイトルとは、関係のない写真となる。
7年前の友達に励まされたのだ。