HOLY'S BLOG

お弔い

今朝、ねずみのお弔いをした。

物干しのガラクタ、うちに入れられないまま外置きとなっている木箱に重ねたクーラーボックスの上にネズミが死んで横になっていた。

 

このところ、野生動物のお弔いが続いている。イタチ、すずめ、そしてネズミ。

少し前になると、カモも弔ったことがある。川っぺりではなく、住宅地の木の影にゴロンと死んでいたのだ。

イタチとスズメは、自転車で走ってる道路の脇で。

 

今朝のネズミ。

どこに埋めようか考えて、うちの賃貸の小さな庭の、前住人の代からあるであろう山茶花の根元にする。

穴を深めに掘って、手とスコップを使ってネズミの体を持ち上げる。

指先でネズミのお腹を撫でてみた。まるで力無く、ふわっとしている。

小さな黒い目を見開いている。

思い掛けず死んでしまったのか。

野生動物の不慮の死に出会うのも、縁だと感じる。

弔ってくれそうな人の目につくように、死ぬんじゃないかしら。

一刻一秒を争う働き人の前ではなく、ちょっと暇そうな人の目につくような場所を。

私がかつて大好きだった人も、動物の弔いに縁のある人だった。

 

「がんばったね、おつかれさま」

土をかけながら、口に出た自分の言葉に驚く。

母が亡くなる時、私は同じ言葉をかけるんじゃないかしら。

今の母は、昔の母と比べると、力無く頼りもなく、フニャフニャしている。足も体も痩せ細り、パーンと張って立ち働いていた母の面影は、今の体を見る限り、ない。

シワの多すぎる、体に比べると大きすぎる手だけが、かつて働き者だった様子を表している。母が亡くなったら、このネズミのように、軽くて小さな空洞になるんだろう。

 

私は、昔の思い出もひとつずつ、何かしら、お弔いの儀式を重ねながら、心の置き所を定めてきたのかもしれない。