2021.11.23
お弔い
今朝、ねずみのお弔いをした。
物干しのガラクタ、うちに入れられないまま外置きとなっている木箱に重ねたクーラーボックスの上にネズミが死んで横になっていた。
このところ、野生動物のお弔いが続いている。イタチ、すずめ、そしてネズミ。
少し前になると、カモも弔ったことがある。川っぺりではなく、住宅地の木の影にゴロンと死んでいたのだ。
イタチとスズメは、自転車で走ってる道路の脇で。
今朝のネズミ。
どこに埋めようか考えて、うちの賃貸の小さな庭の、前住人の代からあるであろう山茶花の根元にする。
穴を深めに掘って、手とスコップを使ってネズミの体を持ち上げる。
指先でネズミのお腹を撫でてみた。まるで力無く、ふわっとしている。
小さな黒い目を見開いている。
思い掛けず死んでしまったのか。
野生動物の不慮の死に出会うのも、縁だと感じる。
弔ってくれそうな人の目につくように、死ぬんじゃないかしら。
一刻一秒を争う働き人の前ではなく、ちょっと暇そうな人の目につくような場所を。
私がかつて大好きだった人も、動物の弔いに縁のある人だった。
「がんばったね、おつかれさま」
土をかけながら、口に出た自分の言葉に驚く。
母が亡くなる時、私は同じ言葉をかけるんじゃないかしら。
今の母は、昔の母と比べると、力無く頼りもなく、フニャフニャしている。足も体も痩せ細り、パーンと張って立ち働いていた母の面影は、今の体を見る限り、ない。
シワの多すぎる、体に比べると大きすぎる手だけが、かつて働き者だった様子を表している。母が亡くなったら、このネズミのように、軽くて小さな空洞になるんだろう。
私は、昔の思い出もひとつずつ、何かしら、お弔いの儀式を重ねながら、心の置き所を定めてきたのかもしれない。