私の「ゴールディーのお人形」
京都から帰り、久しぶりの自分の部屋にいるのに、私の襟元には、確実に違う香りがしています。京都の空気を私のタートルネックのセーターがはらんでいるのでした。
山登りの後に近い。山から流れる川の香り。
セーターは、ウールと空気でできているんだった。
ふと思い出したことを書きます。
「ゴールディーのお人形」について
私の解釈を話してみます。
ゴールディーは、仕事先で出会った中国製のランプに魅了され、自分の稼ぎも顧みず、高価なランプの購入を即決し持ち帰ります。
仕事仲間であるオームスに秘密を打ち明けるようにランプを見せるものの「正気とは思えない」と言われてしまいました。
食うや食わずで生きられるはずもなく、材料費もかかるのに。ゴールディーは自分の現実に引き戻されると共に、その価値感が理解されることのない孤独を味わいます。ほのかに抱いていた恋心も幻のように消え去り、それは同時に失恋も意味します。
自分が大切に思うことは、ほんの取るに足らないこと。日々の積み重ねも泡のよう。自分がちっぽけな存在にしか思えなくなり、気がつけばゴールディーは泣いていました。泣いたまま疲れて眠ってしまいました。
夢の中に現れたのは、ゴールディーを魅了したランプを作った中国の女の子でした。「あなたがわかってくれたから、私たちは友達ですね」夢の中で女の子はゴールディーに呼びかけます。ゴールディーは、笑い出しました。自分が製材された木材からではなく、見つけた枝っきれから人形を作る理由が、はっきりとわかったからです。
私が「ゴールディーのお人形」と出会った頃、私はゴールディーより何も持っていませんでした。部屋は賃貸ですし、ゴールディーほど確実に売れる商品はありませんでした。よほどアルバイトで稼ぐ方が穏やかに過ごせると分かっていても、自分の仕事はそこにあり、知らない誰かの元に、私の作るものは少しずつでも届いていたのです。
それだけを頼りに仕事を続ける日々でした。
「働くセーター」もそのひとつ。
ゴールディーは、私に教えてくれました。
私の作るニットもきっとわかってくれる人がいることを。孤独の背中あわせには、きっと繋がる何かががあることを。
*「ゴールディーのお人形」作・絵 M.B.ゴフスタイン 訳 末森千枝子 現代企画室刊
「働くセーター写真展」京都・ホホホ座浄土寺店 11月3日(水)まで。
週末から、また京都へ向かいます。