HOLY'S BLOG

サニーディサービスのライブにて

昨夜、サニーディ・サービスのライブに行ってきました。

久しぶりの広島Club Quadro。
コロナ禍では全く足を運んでなかったので、3年以上ぶりになります。

大音量と、踊っていいフロア。
新旧おり混ぜたセットリストと二度のアンコール。

最後まで夢中だったけど、私は頭の中で、全く別のことに気づいていた。

それは、

私が、デザインし作ったセーターを着た友達が、うちの部屋のドアを尋ねてくれる。
それがどんなにか素敵かってこと。

ピンポンが鳴ってドアを開けると、友達が私が編んだセーターを着てそこに立ってるってこと。

前回の投稿に、一昨日友達が、私が作ったベストを着て、うちに寄ってくれたことを書きました。

あのベストは、彼女が木にちなんだ名前を持っているから、木々とそしてリスがその森で遊んでる様子、というお題をもらってデザインしたベストだったけれど、あのパターンは、あの後、何度も作り、別の人のセーターにもなった。

私には、彼女のような、私が作ったセーターを着てうちを尋ねてくれる友達が、いく人か、いや、何人もいて、
もしくは、私がよく行く先々で、
紅茶を買いに行くチャイショップや、紙ものを作ってくれる友達や、一緒に美術館に行く友達や、近所でパン教室をやってる友達とばったりとか。

それらは、働くセーターが生まれるよりもずっと前からで、
私はその人達のおかげで、仕事が続けられており、その一着一着は、全部、私にオーダーをくれた人達のリクエストを聞き、デザインして作っている。

そのセーターをもう何年にも渡り着てくれて、季節になると、それを着た彼ら彼女に会えるのだ。
私の日常では、当たり前で、もちろん日々それを見るにつけ、悦に入り満たされるのだけれど、
それは人にあるごく稀なことだと、こんな素敵なことはないんだと、ライブを見ていて、気付いたのだ。

長く長く聴き続けてきたサニーディ・サービスの久しぶりのライブで、
今のサニーディがくれる多幸感の中で、
自分にすでに与えられているしあわせについて、大音量でグルービーな頭の中で考えていた。

・・・

そして、私は今まで、私が自分のためだけに楽しんだことを書くのをいつもためらい、隠していた。
それは、常に私にオーダーをくれて製作を待ってくださってる方がいて、その時々で一緒に仕事をしている相手のこととか。

そのことを考えると、申し訳ない気持ちになり、ずっと書かなかったし、書くことは、私が仕事が遅れる言い訳が、できなくなる肩身の狭さからだった。

書くと自分への納期へのプレッシャーは、遊んだ分、増していく。
お待たせしてる人がいる以上、私には遊ぶ時間はなく、そんな中で、
どうしても、どうしても観たい、観なければならない映画やライブ、展覧会だけを、ごく選び抜いて、ササっと行く。
いつも後ろめたさを持っているのには変わりない。

それでも、今日これを書こうと思ったのは、
私に与えてもらっていた、最大のしあわせについて、気づいたから。

うまく伝わっているだろうか。

私の古い友達たちへ。
サニーディは、やっぱり素敵だったし、これからもずっと素敵だね。