2022.01.13
七草もこえた筑前煮
年明けの展示に友達が訪ねてくれて、彼女の職場に出入りのある無農薬野菜を手土産にくれた。
今頃、筑前煮のようなものを炊いている。
「ようなもの」とは、干し椎茸も牛蒡も入っていないから。
鶏肉、里芋、金時人参。
それで立派な筑前煮だ、うちでは。こんにゃくだって入れたんだ。
母と二人暮らしとなり、母はこちらの予想以上に食べられなくなった。
とにかく小さくおかずを作る。
毎年、年越しに届いていた伯母からの野菜も、今年は届かなかった。
行き来の少ない我が親戚の最後の砦もなくなった。
こちらから連絡できるほどの余裕がない。
里芋がなければ筑前煮も作らない。
そんな季節感のなさだけが残り、いつも以上に慌ただしい年越しとなった。
母を思えば不憫になるけれど、それもこちらの思い過ごしかもしれない。いくらも食べられない母に、その瞬間、瞬間の心地よさがあれば、それ以上でもそれ以下でもなく、孤独さえ感じでいなければ、母の長かった人生も、報われるのかもしれない。
そんなことを思って、私は筑前煮を煮ながら、この煮物に慰められている。