HOLY'S BLOG

豆腐ご飯

小学3年生の頃か、同じ町に引っ越して来た親戚が小さなスーパーを始めたと記憶している。
海のそばで育った母は魚が捌けたので、手伝いに行くようになり、私も通うようになった。
それまで行き来のなかった親戚には、同級といくつか年下の姉妹がいて、スーパーの2階が住まいで、私はいわゆる「よそのうち」の洗礼を受けた。
土曜の午前の半どん授業後、働く母を階下に、私は叔母にお昼ご飯をご馳走になった。
いくつかのおかずと、冷奴にネギがかかっており、
姉妹が白ご飯に飽きた頃、叔母は豆腐と合わせて食べるよう促した。
姉妹は、ネギのかかった豆腐をご飯にのせ、ご飯と豆腐を満遍なくかき混ぜ始めた。
叔母が醤油差しから、チィーと二人の茶碗に味を付け足すと、姉妹はキャラクターの付いた子供用茶碗を持ち上げ、かき込むように食べた。
うちにはない食べ方に私が唖然としていると、「尚美ちゃんも、ほら」
「豆腐ご飯おいしいよ」と姉妹からも薦められた。
日頃、白ご飯に混ぜ物を、特に噛まずに飲み込めてしまうやり方を子供にさせなかった母が、こんなとこを見たらなんて言うだろうか。
ドキドキしながら、言われるままに私も豆腐をご飯にかき混ぜ、食べてみた。
初めて見るご飯の様子。青いネギが散らばっている。
豆腐ご飯は、正直、おいしかった。

干してある洗濯物のパンツには、お尻のところにキャラクタープリントが付いており、
グンゼの白いパンツしか知らない自分にとって、柄のパンツを許されてるこの姉妹を羨ましく感じた。

叔母は若い頃、女優を目指し、東京にまで行ったと、後に聞いた。
他の親戚にはない、黒目がちな華のある顔立ちで、姉妹も、もちろんそれを受け継いでいた。
その親戚が、いつまでそのスーパーを続けたのか、わからない。
いつの間にか学校で姉妹を見かけることはなくなり、
今までの友達と、バスケットボールに夢中だった自分は気にも留めなかった。
大人になって、大叔父の葬儀で綺麗な叔母と再会した時、あの姉妹が同席してたのかどうか、覚えていない。
急に暑くなり、熱のあるものが食べにくい。豆腐の喉越しに、食欲のなさを助けられる。

今でも母に、あの日の豆腐ご飯の話は、したことはない。
今後もすることはないだろう。