神楽坂の伝説の店 Georgia Moon
私が19歳の頃、神楽坂にGeorgia Moonというセレクトショップがあった。
私は夜学生で、昼間は楽譜の版下を作る「楽譜工房」という小さな会社に勤めていた。音符に合わせて、歌詞や指示記号を和文・英文タイプで打つのが私の仕事で。
そしてしばしば荒木町の工房から、津久戸町にある出版社へお使いに行った。
東京の地理にもようやく慣れ、電車から自転車でのお使いに進歩した頃、大久保通りから神楽坂を抜け、小さな路地を曲がった所に、その店はあった。
ひっそりと、オレンジのテント屋根に「Georgia Moon」
しばらくは気になりながら、通りから眺めるだけだった。
時々、店の前にブルーのアメリカンタイプの中型バイクが止めてあり、店主のセンスを窺わせた。
ある日、今日こそはと、お使いの途中にも関わらず、自転車を止めて店に入った。
そこで私は、ファッションにおけるアメリカに出逢ったと言える。
カラフルなコミックスプリントのTシャツ、染め色の深い大判のバンダナの数々。
デパートのそれとは全く違う風合いのデニム。
ヤシの木ボタンのアロハシャツ。
L.L.Bean.より先に、老舗のアウトドアブランド『Eddiebauer』にもその店で出会った。
デザインや値段だけじゃなく、素材の良さと作りの確かさへの価値を初めて知った。
Puttipadouのカットソーや、子供用トアレ Putti Poanの香りを知ったのもその店だ。
店主は、小山田圭吾に似た男性で、全く年齢不詳。
キース・ヘリング直筆サインが入ったスウォッチが何気なくレジ横に置いてあり、それは店主がニューヨークで、直接書いてもらったと聞き、もう雲の上の話の様だった。
それからも、お使いの度に前を通りながら、横目で眺めて、自転車を走らせていた。
数年経った頃か、「Sale」の文字が店の窓に貼られてあり、私は自転車を止め、店に入った。
全品2割引という。
その日の仕事を終えて、再び店に向かい、
初めてその店で買ったのは、バンダナだった。後にそのバンダナが、ビンテージ品であることを知るのだ。
そして2割引なら、気になっていたあれこれが私にも買える。
そうやって通っているうちに、少しずつ店主と話せるようになり、
「買わなくちゃ」というプレッシャーを全く与えない、地方出の小娘にも天使のような方で。
いつか、馴染みのお客様がいらしてる時には、洗練された都会の男の子が選ぶデニムがここにはあるのだと、眩しくすら感じた。
SALEは、店を閉められるためと知り、
いよいよ閉店される時、私は店内の品物の「これは」と思うものをいくつかお借りし、コットンバックに詰め、
「これは」と思う友達やバイト先の人に売って歩いた。(当時、会社に内緒でバイトもしていたから)
今から思えば、店主がよく貸してくださったなあと思うし、友達も買ってくれたものと思う。
品物が良いことは、見る人が見ればわかるし、それが破格の値段だったからだろう。
「これは誰々に」と思い描いた友達が、やっぱりそれを気に入ってくれた時の嬉しさを、今でもよく覚えている。
「ありがとうね」と店主から、ラルフローレンのボタンダウンを頂いた。boys size。
綻んでは何度も縫い直し、すっかり着倒してしまった。
今でも店主とは、細々とお付き合いが続いている。
うちにあるイギリスの国旗のついた鉛筆削りは、ひょっこりと送られたもので、
友人達には、すっかり見慣れてるであろうスカートやブラウスも、あの時Georgia Moonで買ったものだ。
天使のような店主は、今は家業を継いでおられるが、「またいつか店をやりたい」と言われている。
それは飲み屋かもしれない。
それも、楽しみで仕方ない。