HOLY'S BLOG

アラン

お客様のなかった昨日は、終日編んでました。
今、シェットランドランドヤーンで、アランを編んでます。

自分の好きなパターンを組み合わせてデザインしたら、隔段で目をあっちこっちさせなくちゃで、思いの他、歩みが遅い。
つまり、商業的デザインではないということ。
自分のやってみたかったことを盛り込んで実験的に、好き勝手に作らせてもらっている。
だからこそ、このパターンでやり遂げたい。

アランが極太の毛糸で編まれるようになったのは、紡績の機械化が進んで、手編みでありながらも大量生産、海外輸出されるようになってからで、
女性達が家族の為に編んでいた頃は、もっと細い糸で繊細に編んでいたようだ。
だって太い糸のセーターはやはりモコモコして動きにくいもの。

ニットは労働者の作業着だったから、動きやすく、そして温かさを追求された。
剥いだり継いだりも極力避けて、(なぜなら、そういうところが目に負担がかかり痛みやすいから。)輪でなるだけ編んだと思う。その方が、痛んだ時の編み直しもしやすいのだ。

豊かなパターンでより美しく手を掛けて編みながらも、丈夫さと少しでも効率良くと、考え尽くしたはずだ。

目を詰めて温かくずっしりでも、体にジャストフィットで編んで、
剥ぎもなければ脇がすっきりして、動きやすかったことだろう。
漁や、石を割る厳しい労働の身を守るセーターとして。

オーストリアの原毛一色で編まれてたセーターが、古い文献を見ると、セーター全体にいくつものケーブルパターンが盛り込まれ、まるでレリーフの様。
それは手の込んだもので、真似しようと簡単には思えない。

東欧の内陸部、トランシルバニア地方がヨーロッパの起源だったそうなので、オーストリアの編み物のパターンも、巡り巡ってアランセーターになったんじゃないかと、勝手に解釈している。

手間を惜しまない仕事というのは、現代ではオートクチュールかハイブランドの話、もしくはお金持ちの趣味の世界でしかあり得ないのか。

そんなことを考えながら、編んでいる。

どうにかなんないかなぁ。
この自分の仕事の遅さもね。(笑)