HOLY'S BLOG

ハロウィンの週末

帰り道、商店街はハロウィンで賑わっていた。

日も暮れて随分経つというのに、仮装した子供も大人も飲食店の出店に群がり、広場ではディスコグラフティーな演奏が続いている。

古本屋の棚を眺め心を落ち着かせようにも、店の前にも人だかりがしていたのでやめた。

 

今日は、まだまともなご飯を食べてない。

午前中に現実逃避(部屋の片付けとか)でレーズンとクルミを摘み、編み物クラブでお出ししたおやつの味見でお腹は持っていた。

 

大人しくうちに帰ろう。

クラブで使ったカップやお皿の洗い物がそのまんまで残している。

 

出先はREADAN DEATの幸本紗奈さんの写真展で、それは私にとって観てよかったと感じる作品だった。

写真集ではなく、現像した写真として観れたことが。

被写体を持たない幸本さんの作品は、出版社や本屋からしたら売り難く、しかし出版したからにはそれなりの理由があり。

そんな話を店主から聞いていると、人と会って、心から会話をしたり、お腹の底から笑えたりすることが、タイミングの一致でしかあり得ないと思うと、何もない日々は大切な待機時間だとか、平凡すら彩りを感じるのは自分次第とか考えちゃって。

というのも、自分にもハロウィンの思い出があって、商店街の賑わいを横目に自転車で走り抜けると、するすると糸が引っ張られるように思い出され。

それは今でも心が温まるから。

 

人生2度目の一人暮らしを始め、いよいよ自営業のみで生きていくんだと決めた前回のマンションは、お隣が当時まだ学生のお嬢さんだった。

確か引っ越しをした2010年、10月も終わりの頃なら、長野での個展を終え、続いて広島での展示を控えていた頃だろう。

引越しして4ヶ月、個展も決めていたから、怒涛の夏を越えたはず。

私が作業に没頭の夕方、玄関のピンポンが鳴り、開けると隣の女の子だった。

「トリック・オア・トリート!

カボチャのケーキとカボチャの煮物。それに種を炒ったのも、どうぞ」

とタッパーを差し出してくれた。

まだぎこちないご近所付き合いの頃だったし、私は迫る地元での個展準備に、季節行事など眼中になく、全く面食らった。

彼女にとっては、学校行事の延長だったんだろう。

返事もろくにしなかったと思うが、手渡されたタッパーとまだ幼さの残る彼女の顔を今でもよく覚えている。

「ありがとう」とお礼を言った。

「タッパーはいつでも良いです」

タッパーの中には、小さなおかず入れに炒った種と、アルミホイルとラップで仕切られたケーキと煮物が行儀よく並んでいた。

 

それが彼女との、ご近所付き合いの始まりだった。

互いの調子の良し悪しも、階段ののぼり下りの足音で感じたり、自宅仕事の自分は、通勤の彼女に毎朝夕、心の中で「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」を呟いていた。

一人暮らしのくせに料理好きな彼女から、買いすぎた大根や桃がベランダづたいに手渡され、私からは編み物クラブのおやつや、頂きすぎた心ばかりのお裾分けが、行ったりきたりした。

 

盆暮れとなると、彼女は帰省し、帰省先のない私から何もなくとも、毎回、故郷名物のサツマイモや、見たことのない郷土菓子を頂いた。

 

あの「トリック・オア・トリート」がなかったら、あの日の私は、積もる仕事をただ続け、声すら出してなかったし、それ以降、日曜の朝のたわいもない日向ぼっこも、羊雲を教えてもらうこともなかったろう。

 

社会人になった彼女が帰宅するなり、うっ潰すように泣く声を聞いて、胸が締め付けられたり、似た家庭環境で育ったことを打ち上けあったりしたことも、隣に住んだ偶然だけでは済ませ切れない7年間だった。

 

私が長く留守にする時には、郵便物を部屋の新聞受けに入れてくれたり、いつかは不審者退治にも協力しあったんだった。

 

彼女には感謝しても仕切れない。

 

彼女が私のSNSを見ることもこの先繋がることもないだろうし、このブログを読むこともないだろう。

 

私がこっちに引っ越して、一度引越し餅を持って行ったら、レターパックで引越し祝いかお返しだったのか、紅茶セットが送られてきた。

私の引越し餅になんか、お礼なんてしなくていいのに。

 

とにかく、出来た女の子だったし、かわいからしかった。

 

私の気持ちが届かぬとも、ふんわり風に乗って、彼女のぷっくりした頬(今は更に大人の女性になって、ぷっくりなんてしてないかもしれない)に触れてくれたらと思う。