HOLY'S BLOG

ベレー帽を編みながら道具のことを考えた

先日、シンプルなベレー帽を編みながら、その道具のことを考えていました。

毛糸代はさておき、使用する編み棒は、20代に900円位で買ったもの。
ベレーのポッチ(と言うらしい)は、祖母の使ってた2号針です。
編み棒が折れることはほとんどなく、失くしもしないです。

高価でなく、えらく長持ちの道具たち。


3号針で、この上なく目を詰めて編んでいます。


リブになるゴム編みは、メリハリを出して。


とじ針を使って一目ゴム編み留めをしています。
伸縮性のあるに縁に仕上がります。

自分がこれを仕事に出来たのは、道具代がほんの僅かだったことに、助けられたと思います。
私が今も使っているかぎ針は、物心ついた頃、親の真似をして初めて手にした時と同じかぎ針です。
編み針も最近のは、握りやすくラバーグリップの付いた物が販売されてます。
でも私のそれも、全く支障はないのです。

編み物は、もともと老いも若きも男女の差もなく、生きる糧を稼ぐための手仕事でした。
英国の産業革命以降、「手芸」とカテゴライズされてからその印象を変えられてしまったようで、
「手工芸」が「美術」と「工芸」に分類され、云々。

『大きな森の小さな家』シリーズには、定住を好まず旅を続けたインガルス一家の、最小限の荷物を幌馬車に積んで、住む土地を変え続けた様子が描かれています。
父さんやローラが自分の家を定めたのは、どちらも晩年になってから。

それに対し、ローラの夫となるアルマンゾは、『農場の少年』にて、大農場の次男坊で、
大きな二階建ての家には、母さんの機織り部屋があり、飼っている羊達の毛刈りも通年行事の一部で、外から人も雇ってその作業に従事します。

旅ばかりのローラの小さな家には、もちろん織り機はなく、編み物をし、母さんは器用に家族の服を手縫いします。

アランセーターで有名になったアラン島は、自然の厳しさ故、草木も生えず。
編み手達はかつて鳥の羽根の芯を使ってその仕事をしたそうです。
木が豊富な土地でなければ、織り機も作れません。
アラン島の人々が編み物を、海外に輸出するためのプロジェクトを果たしたのは、それが生きる糧だったからだそうです。

私はいつか、編み針を持って世界旅行をするのが密かな夢です。
その土地で、現地の毛糸を使って、伝統の技法を習いながら、ひとつずつ作品を仕上げていきたい。
出来れば寒い所ばかりが良く、羊の毛の温かさを編みたいのです。