すばらしい1日

お盆に入る直前の平日、6時前に出発して、恒例の墓参りツアーに出かけた。
吉浦駅の花屋さんは、朝7時から開いてるとGoogleマップは教えてくれる。
本当かな?と前日電話すらしてみたが、応答なしだったので、行ってみるしかない。開いてなければ、コンビニを探すか、最寄りスーパーが開くまで待つかだ。
開いていた。
ちっさなおばちゃんが、店先にしゃがんで近所の人とお話ししていた。
私は、白いりんどうをもらうと、おばちゃんは、大きな百合を1本200円のところ150円でくれると言う。
今年の暑さで、花も持たなく、だんなさんは傷んだ花をどんどん捨てるが、
もしよかったら、お墓の彩りにしてと言って、咲ききった菊もくれる。
もうひとつの父方の祖父母の墓には、隣4軒に花を入れるから、いくらいただいてもうれしいのだ。
田舎道のどこにも、愛しい美しさはある。
誰かが庭を作り、花を植える。

それぞれの家庭に『星の王子さま』の自分だけの薔薇を持っている。

これは瑠璃柳(ルリヤナギ)と言うそう。
7月30日の誕生花。
花を抱えて坂道を登っていたら、たまたま出会ったトラックで動く石屋さんに話しかけられる。私が駅から歩いたと言うと、とても驚かれた。私が抱えた花の量を見てなのか、その日の全コースを尋ねられたので答えると、またさらに驚かれる。
お年寄りのために、時々車を出しているから、私にも車を出してあげると言う。一体いくらかかるのだろう。
私は私が動ける限り、この墓参りのやり方は変えないだろう。もしくは車を持つようにならない限り。
むしろ私は気に入っているのだ。
公共交通機関を使うとはいえ、自力で動いてる体感が好きなのだ。
今の世の中、自力でできていることが、一体いくつあると言うのだろう。
洗濯は洗濯機が回してくれるし、火だって自分で起こすわけではない。
手紙を書かずとも、用件は伝えられるし、私が歩くといったって、1日中、炎天下を歩き続けるわけではない。
どこかでは必ずエアコンが効いているのだ。
駅を移動してまた墓へ。

畑を作っていたおじさんは、もう鬼籍の人だろうか。いつかおじさんがお孫さんのために作っておられた木のブランコに乗せてもらったのだけれど。
ふたつめの墓参りを終えて、いつものこの呉の街の景色。これがかつての軍港だ。
ここにたくさんの人間模様があって、今の日本とこの街がある。

電車の待ち時間の隙間に、この駅に住む友人を玄関先に尋ねたら、後ろ姿が見えて、久しぶりに言葉を交わした。
小さな駅は、ゴミ箱が撤去され、ゴミ捨て厳禁の市営の墓所では、抜いた草や枯れた花は、持ち歩くしかないのだが、その袋を見た友人は、私の手から自ら引き取ってくれた。
これがどれほどありがたいことか。
ローカル線とローカル線を乗り継ぎ、山へ。
もうひとつの墓参りも終えて、今年のお盆の墓参りツアーも無事終わり、ほっとしている。
電車から電車、最後はバスで。停留所から歩き橋を渡って帰宅する。このコースを見つけた時は、我ながら「でかした」と思ったものだ。
実家はもうない。こんなコースを辿るのは、自分だけとなった。前は母と歩いたのだ。
うちに帰り、シャワーを浴びてほっとしていると、チャイムがなり、友達のご両親から荷物が届いた。
福島は会津地方で作られた、胡桃の皮で編まれた手提げカゴだった。
友達のお父さんが愛してやまないカゴ。
長野に住む彼らが、5時間かけて、福島の職人さんを訪ね求めたカゴに、お父さんが自作の持ち手を付けられたと言う。
このカゴの話は、また今度。